2019年9月8日号。<京浜急行復旧/恐るべき小学生(前編)>

 おはようございます。ヨロンです。

 京浜急行は昨日復旧しました。近所の生麦駅に見に行くと、いつもどおり爆速で「あらよっと!」と、目の前を通り過ぎていきました
 事故の映像がいくつも流れています。あの事故発生から2日間で復旧させるのは凄い。京浜急行というと、学生時代に通っていた日の出町や黄金町などの悪い印象があります。日の出町は場外馬券売り場で、隣の黄金町はヤクザのイメージです。平和島もありますね。
 日曜日になると、競馬新聞と赤鉛筆を持ったオッサンが日の出町駅で降りていきました。私は近くの伊勢佐木町の本屋でアルバイトをしていたので、その雰囲気が嫌でした。これは以前書きましたね。
 京急は決してオシャレな雰囲気ではありませんが、羽田空港からの足にもなっていますし、地元だけでなく鉄道ファンからも愛される電車です。私も「嫌だ」と言いながら、結構好きなのかもしれません。
 空いている時間帯、快特の京急蒲田~品川間に乗ったときの疾走感は格別です。また、年に何回かは、京急鶴見駅でエアポート急行を待っているときに、向かいのホームに三浦海岸行きが通過すると、「あれに乗って三浦海岸に行って遊びたいなあ」と思います。
 『シン・ゴジラ』では、ゴジラに破壊される電車として、JRは拒否したものの京急は承諾し、見事にゴジラに破壊されたため、鉄道ファンから絶賛されたという話もあります。

 まだ現場検証や、死亡した運転手の行動分析が行われています。通常通らないような道に大型トラックが入っていったのは謎ですが、カーナビの無いような車で、しかもひとり。知らない細い道に入り込んでしまったことで、パニックになってしまったのでしょう。
 ワイドショーでは「バックすれば良かった」「海外では走行ルートを戻ることができる装置がついていると聞いたことがある」と適当なことを言っているコメンテーターがいました。大型トラックにひとりで乗っている運転手が、どうやったら補助も無しにバックできるのでしょうか。カーナビも無い中で、前に進んで解決するしか無かったのではないか。

 もうひとつ。電車の運転手の手動ブレーキのタイミングが適切であったか、という疑問もあります。
 運転手は「ブレーキをかけたが間に合わなかった」と証言しているようですが、まさか神奈川新町駅の向こうで大型トラックが線路を塞いでいるとは想像できなかったはず。警告ランプを見てから手動ブレーキをかけたタイミングが遅れた可能性は無かったのか。そこに人間の判断が入る限り、絶対はありえません。

 毎日いくつも感想をいただきます。血気酒会でのボストンのTシャツを指摘してくれたり、音声に変なノイズがあったとか。政治ネタや、毎日のメールの感想を丁寧に書いて送っていただくこともあります。

 いただくメールを読んでいると、職業もさまざまです。医療系の話を書けば、医者から専門的なアドバイスが送られてきますし、車、鉄道、旅など、さまざまな分野の専門家に購読していただいています。
 勝谷さんは、特に鉄道関係の話は慎重に書いていました。というか、突っ込んだ話はほとんど書きませんでした。
「何で書かないの?」と聞くと、「鉄道は難しいんだよ。生半可なことを書くと、すぐに指摘が来るんだ。鉄ちゃんは怖いぞ」と言っていました。
 そんな多彩な読者の中に、翻訳家の方がいらっしゃいます。今回紹介する漆嶋稔さんです。プロフィールを文末に掲載しましたので、ご覧ください。

 漆嶋さんは、nippon.com というサイトで、主に中国事情や日本との関係、歴史に関することなどを執筆されています。
https://www.nippon.com/ja/authordata/urushima-minoru/
 先日、中国と日本の死生観の違いを書かれたコラムが面白かったので、是非ここでも何か書いていただくようお願いしました。
 nippon.com に寄稿されているような深くて濃いコラムよりは、日曜日に少しゆったりとした雰囲気の中で読めるようなものが良いと思っていたところ、まさにそのようなお話を送っていただけました。

 全4話あるのですが、2話ずつまとめて2回に分けてお送りします
 重くはなく、少し不思議な世界観を感じさせるお話です。

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(十数年前の実話であります)

<恐るべき小学生 Part 1>

漆嶋稔(翻訳家)

以前、NHKの番組に「課外授業 ようこそ先輩!」というのがありました。各界の第一人者が母校の小学校六年生に対し、いろいろなテーマを話したり、やらせてみたりして交流する内容です。 総じて。講師のオトナはもちろん第一線で活躍中の立派な人物ばかりですが、その彼(女)らが毎度のことのように、自分よりはるかに幼いはずの小学六年生の感性や知性や能力に驚嘆しておられます

概して。女子の方が利発で賢い人が多いですね。 男子の方は、もう何と申しましょうか、半分以上はまだ宇宙人と交信しているような状態で、もうパッパラパーという感じです。
同い年の女子から見れば、「もう、幼くて話になんないわね」ということでしょう。ごく少数ながら、賢い男子という存在もいますが、稀有なだけに目立ちます。

さはさりながら、何を考えているのか、本当に何も考えていないのか、さっぱりわからんオタンチンな男子こそ、実は大化けすることが多いのであります。そのあたりは、お天道様の配剤と申すべきでしょう。

賢い女子はまずオトナになっても聡明なままですね。一方、ヘナチョコな男子諸君は、オトナになって再会すると、「おおっ!あの洟垂れがこんなに立派になって……」と刮目することが結構多いのであります。自然は素晴らしい。

それはともかく。
十年ほど前、我が家に小学六年生にもならぬ四年生か五年生の女子三~四名がやたらに遊びに来ておりました。最初は、弊立派な駄犬ポチを見つけた彼女らは、「わー、可愛い!」とて、隣の家の娘さん(小四)とともに鉄柵越しに騒いでいました。

それから数ヵ月後。
再び少女隊が登場し、仕事部屋の前にいるポチを撫でてみたいとて、「すみませーん、ポチに触ってもいいですか?」と仰るので、いいですよと応諾しました。 次の日は、「すみませーん、ポチを散歩に連れていっていいですか?」。いいよ、と言わざるを得ず。

その次は。
裏庭でポチを放していると、「すみませーん、ポチと遊んでいいですか?」。イヤとは言えません。その内、裏庭に設えたデッキで女子が遊びまくるようになりました。

そして。
「すみませーん、おトイレ借りてもいいですか?」
無論、ダメと断れるはずもありません。女子チームは部屋を横断してあれこれと視察していきます。どうやら、真の目的は室内拝見だったようです。

また次の日。
散歩から戻った少女諸君の一人が意を決したように質問します。
「あのー、何のお仕事をされているのですか?」

なるほど。
関心の対象は、どうやらポチからわたくしに移ったようです。考えてみれば、毎日自宅でパソコンをポチポチ叩いているオトナはあまり見かけないでしょう。田舎に暮らす自由業のおじさんなど珍獣のようなものです。

そして翌日。
恒例により、トイレを借りたいと言った彼女らは、トイレから帰る際、居間に立ち止まり、お願いごとをなさいました。
「すみませーん、ここでお勉強してもいいですか?」
こうなったら、好きにせえ、であります。

それから30分後。
「すみませーん、テレビ観てもいいですか?」
なぬ?勉強はどうした、という野暮は言いません。逆に、小学生のくせに勉強する方がおかしいだろうと思ったりします。

つい昨日の夕方。
別の女子がまたまた踏み込んだご質問が飛びました。
「すみませーん、今日の晩御飯は何ですか?」

どうも、一連の経過を考察するに、彼女らの勉強部屋には、大きな模造紙に様々な質問・確認事項を用意し、毎回の訪問ごとにそれを埋めていき、来年の夏休みの自由研究にでもするのではないか。いずれにしろ。近所に住む怪しげなおじさんの生活と家(リゾート風公民館のような)について、調査は続行中のようであります。

それにしても。
一日一質問のペースを頑なに守る小学校高学年の戦略は、まことに大したものではないでしょうか。一定以上踏み込んで謝絶されないように、ギリギリの線を考えての動きとしか思えません。

恐るべし、女子小学生。

<恐るべき小学生 Part 2>
夕方頃になると、今も小学生五年生の女の子が二人拙宅に登場します。彼女らに拙宅にやってくる理由を聞いてみました。
「だって、涼しいんですもん」

しかし、季節的にはもうどこの家でも涼しいはず。それでも、せっせと登場します。 弊立派な愚妻が聞いた話によれば、どちらも共稼ぎにて家には誰もいないのだとか。先日、NHKの番組で知ったのですが、これはいわゆる「学童保育」のようなものではないか。そして、利発な彼女らは自らその場所を開拓し、確保しているのではないか。

当方には別に何の義理も義務もないのですが、近所のお子さんということはわかっていますし、別に悪さをするわけでもなく、結構宿題もセッセとやっている姿を見ると、滞在時間が精々一時間(場合によってはわずか20分)ですから、「ま、ええか」と彼女らのご訪問を認めております。

ただ、先日来、「あのー、食べ物ありますか。何でもいいです」というオネダリがやや多くなってきました。一昨日も、開けっ放しの仕事部屋に彼女らが入ってきたのは気配でわかりましたが、こちらは仕事で多忙を極めていたこともあり、ことさらに辞書や資料をワサワサとめくったり、本棚を探し回る姿をしたりして彼女らには気づいていない振りをしました。そろそろええ加減にしてもらおうかしらん。わしも忙しいんだがね。やがて、彼女らはあきらめたように部屋から出て行きました。

さて。その日、彼女らが帰っていた居間の机には、次のようなメモが残されていました。

 ○女子その1
「いつもめいわくをかけてゴメンなさい。とてもかんしゃしています。もういやだと思うこともあるかも知れませんが、これからもヨロシクおねがいします。いやな時は、いってください。おねがいします」

○女子その2
「いつもいそがしい中、お茶をくれたり、ありがとうございます。それと、おかしを下さいという時、ない時はいってくれれば、あきらめますので、どんどんいって下さい!いやなことがあったら、いって下さい!正直に直します。めいわくがかかるかもしれませんが、これからもヨロシクおねがいします。できるだけしずかに過ごします。本当に感しゃしてます」

うーむ。最近のお子さんの実態はよくわからないのですが、やはり恐るべし小学五年生。

ここまでオトナの気持ちを見抜き、しかも、状況が変化しそうな気配を察知し、事前に自分の頭で対策を練り、メッセージを残すことをおやりになった。しかも、「これからもヨロシク」と現状維持を求めるなど、譲れぬポイントをしっかり押さえている

しかし。彼女らがなぜ拙宅に毎日来るのか、今でもよくわかりませんが、コトここに至っては、今さら説明を求めるのも何だかなあ、という感じであります。いずれにせよ、飽きたら自然に来なくなるでしょうし、近所のお子さんがわざわざいらっしゃるというのも、この時代では珍しいとのことですので、自然体で対応している今日此の頃であります。

ではまた。

略歴
漆嶋稔(うるしま みのる)
1956年宮崎県生まれ。神戸大学卒業。三井銀行(現三井住友銀行)入行。北京、香港、広東、国際業務部、上海支店を最後に脱藩。訳書に『烈火三国志』(上中下巻)『経験学習によるリーダーシップ開発』『心が鎮まる老子の教え』『マンガでわかる老子入門』『マンガでわかる論語入門』『心が鎮まる荘子の言葉』『菜根譚 心を磨く一〇〇の智慧』『菜根譚II』『三字経の教え』『中国思想に学ぶ 成功にこだわらない生き方』(以上、日本能率協会マネジメントセンター)、『決定の本質I、II』『孫子 戦争の技術(日経BPクラシックス)』『中国貧困絶望工場』『馬雲のアリババと中国の知恵』『中国の赤い富豪』『聯想(Lenovo)』『市場烈々』(以上、日経BP社)、『FRB議長』(日本経済新聞出版社)、『GENTLEMAN FASHION―紳士へのガイド』(クーネマン社)などがある。

勝谷誠彦氏の存在を初めて知ったのは、ご多分に漏れず、西原理恵子画伯の漫画に登場する「ホモかっちゃん」として。本人を初めて拝見したのは、読売テレビ「たかじんのそこまで言って委員会」であり、早口で喋り倒し、しかも正論を吐き通す姿はなかなか興味深かった。そこで、このご時世なので、ネット検索して「勝谷誠彦の××な日々。」を見出し、現在に至る。爾来、毎朝届く分量と質に毎回舌を巻きながら堪能していた。あの知事戦敗北以降はやや情緒に揺らぎが散見され、一抹の心配を覚えていたが、そのうち再び復活するものと確信していた。ところが、まだまだ今からと思っていたのに、敢え無く天に召されてしまわれた。神に愛され過ぎたのか。改めてご冥福を衷心より祈念申し上げる。されば、勝谷氏亡き後の「xxな日記。」を引き続き愛読申し上げるのも供養の一つと考え、毎朝楽しみにPCを開ける日々である。

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