おはようございます。ヨロンです。
今日も昨日に続いて横浜は快晴となっていますが、東京ではとうとう最低気温が10度を割り込みました。走るのには良い気候なのですが、もう少し秋を感じさせて欲しいものです。
米国大統領選挙を1年後に控えて、トランプ大統領が公約どおりにパリ協定からの脱退を正式通知したと発表されました。発表したのはポンペオ米国務長官。
<米、パリ協定離脱を通告 初日に手続き、1年後確定>
https://www.sankei.com/world/news/191105/wor1911050003-n1.html
<ポンペオ米国務長官は4日、地球温暖化対策の国際枠組み「パリ協定」から離脱することを国連に正式通知したと発表した。トランプ米大統領は2017年6月、「米国の労働者に不利益を強いる」として離脱方針を表明していた。米国が正式に離脱するのは早ければ2020年11月上旬以降となる。>
米大統領選挙の観点から見ると、来年は地球温暖化に対する考え方の違いが、最大の争点になる可能性があります。しかし、単純に共和党vs民主党とはいかず、共和党支持者の中でもパリ協定に参加すべきだと考える人が6割いるので、トランプ大統領が不利な立場になることも考えられます。
トランプ大統領の言いなりになっている日本も、ここは冷静な立場で行くはずなので、アメリカがトランプ以外の大統領に替わることも見越して、距離を置くでしょう。それは、地球温暖化に対する考え方の違いではなく、単にアメリカの政局を睨んだものです。
私としてはエネルギー問題について、以前いただいた再生可能エネルギーに関する資料を、まだここに掲載できていませんし、グレタ・トゥーンベリさんのことをどう扱ったら良いのか悩むところではあります。地球温暖化について懐疑的な考え方があるのはもちろん承知していますが、エネルギーのベストミックスを考える中で、やはり原発や火力発電は収束していくべきものなのかな、と思います。
そうなると、トランプ大統領の方針は環境問題への取り組みを否定しているものではないものの、民主党候補の政策次第ではかなり不利になることは予想されます。日本の取り組みも含めて、ポスト・トランプにつながるのか非常に興味深い問題として見ています。
今週金曜日に、観音さんのコラムでも登場している中村淳彦さんを迎えてネット対談番組の『ヨロンブス』をお送りすることになりました。
中村さんは、風俗関連の取材を続けてきた流れで、現在は貧困問題について多くの著作も出し、政府や国会議員の勉強会に呼ばれて講師を努めています。
中村さんの著作の中には、今回の観音さんのコラムで取り上げられている福田和子のような女性が多く登場します。少し違うかな……。
福田和子は、AVなどの映画に登場したり、風俗産業に勤めるのではなく、彼女自身が映画になるような生き方をしていました。ちょうど今、自分の中では「貧困女性」「貧困中年男性」といったキーワードが感心の多くを占めているので、今週は重い一週間となりそうです。
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逃亡の旅 ~第25回~ 越前に逃げる その2
花房観音(小説家)
小説家になる少し前に、永平寺で三泊四日の参禅体験をしたのち、福井駅に降り立ち荷物をコインロッカーに預け、駅前を歩いた。商店街はほとんどの店にシャッターが下りて人の気配も少ない。
多くの地方都市が、こんなもんだ。賑やかで活気があるのなんて、ほんの一部だ。地方を生かさなければ、日本は死ぬと、いつも思う。でも、都会から離れたことのない人には、見えてこないのかもしれない。
しばらく歩いて商店街を抜けると、目当ての場所にたどり着いた。「北ノ庄城跡、柴田公園」とある。見渡せるほどの公園で、もっと広い「城の跡」を期待していた私は、拍子抜けした。
かつて、ここにあった城で、戦国時代「絶世の美女」といわれた女性が亡くなった。
織田信長の妹・お市の方だ。
北近江の浅井長政に嫁いだお市の方は、三人の娘とひとりの息子を産む。兄の織田信長が浅井久政、長政親子と同盟を組むための政略結婚だったが、夫婦仲は睦まじかったという。ところが信長が越前に侵攻し朝倉氏と対立すると、浅井親子は朝倉側についた。近江の姉川を挟んで、朝倉浅井連合軍と織田徳川との「姉川の戦い」で、川は血に染まったと伝えられている。信長はさらに浅井氏の居城である北近江の小谷城を攻め、浅井久政、長政親子は自刃し果てる。このとき、お市と子どもたちは羽柴秀吉、のちの豊臣秀吉の手により助け出されたが、息子は信長の命により秀吉の手にかかり殺されたとされている。信長は、朝倉義景、浅井親子の頭蓋骨に漆を塗り、酒を注ぎ家臣たちに飲ませた。それほどまでに恨みが深かったのだろう。
信長のもとに返されたお市は、信長が本能寺の変で亡くなったのちに、柴田勝家の妻となり三人の娘とともに越前・北ノ庄城で暮らすが、信長亡き後の天下を狙う秀吉と勝家が争い、賤ケ岳の戦いで敗れた勝家は、北ノ庄城で自害しようとする。
このとき、勝家は妻子を逃そうとしたが、お市は「二度も夫を見殺しにする妻にはなりたくない」と、娘たちだけを羽柴の兵に託し、夫と共に自刃したと伝えられている。
古代から近代までの様々な歴史に名を遺す人々の死に方を書いた山田風太郎の「人間臨終図鑑」という本がある。その中で、風太郎が、「しかし勝家は、秀吉に敗れた無念さより、半歳前に妻としたお市とともに死ねることに満足していたに違いない」とを書いているのが印象的だった。
山田風太郎の「妖説太閤記」は、醜男で女に相手にされない秀吉が、女に好かれる男たちへの嫉妬を滾らせ、その力で天下人に上っていく物語だ。容貌コンプレックスが天下統一を成し遂げた動機という解釈は、痛快だった。この物語の中では、秀吉が恋慕い続けるお市の方は、成り上がりで醜い秀吉を嫌い続け、秀吉のものになるぐらいならと勝家との死を選ぶ。
劣等感ほど強いエネルギーはないと、常から思う。私自身を突き動かしているのも、劣等感だ。それを醜悪だと思う人もいるだろうけれど、嫉妬を内にため込み正義の仮面をつけて、他人を攻撃することに喜びを感じる人よりも、よっぽど前向きではないか。「妖説太閤記」の秀吉は、姿も心も醜い男だけれども、最も共感できる「英雄」だ。
勝家とお市亡き後、秀吉のもとに託されたお市の三人の娘の長女・お茶々が秀吉の側室・淀君となり、豊臣秀頼の母となる。次女のお初は京極高次の妻となり、三女のお江は三度目の結婚で、徳川家康の息子で、のちの徳川幕府二代将軍・徳川秀忠の妻となり三代将軍家光、秀頼の妻・千姫たちを産む。
歴史を作った女たちが生命の袂をわかった北ノ庄城跡は、福井の町の中にぽつんとあり、そんな凄まじい歴史上のドラマがあったことなど想像もつかない。
公園の中には、柴田勝家、お市、三姉妹の銅像があった。資料館に入って展示を見る。
北ノ庄城の跡には、家康の次男・結城秀康により福井城が造られたが江戸時代に焼失し、再建されることはなかった。
今年の夏、改めて小説の取材で、あわら温泉、東尋坊、永平寺を編集者とまわったが、一日目に東尋坊からあわら温泉にタクシーで向かう途中、木立の中に一軒の喫茶店を見つけて、私は思わず声をあげた。
「喫茶ハワイだ! 北陸代理戦争の!」
私がそう口にすると、タクシーの運転手が「お客さん、詳しいですね」と言った。
「もう、あの店、閉まっちゃたんですよ」
「そうですね、人の気配は無かった。でも建物が残ってたのでびっくりした」
ぽかんとしている編集者たちに私は説明した。
「東映実録路線」のファンなら、北陸三国の「喫茶ハワイ」が、どれだけ重要な場所か知っているだろう。
1973年、深作欣二監督による、実際に広島であった暴力団の抗争事件をモデルにした「仁義なき戦い」が公開され、人々は映像からあふれる凄まじいエネルギーに熱狂した。その後、「仁義なき戦い 広島死闘編」「仁義なき戦い 代理戦争」「仁義なき戦い 頂上作戦」「仁義なき戦い 完結編」と続けて傑作が生みだされる。
余談であるが、「仁義なき戦い 代理戦争」「仁義なき戦い 頂上作戦」は、角田龍平弁護士の義父・土橋亨監督が、助監督を勤めている。
またモデルとなった広島抗争は、AV界の巨匠・代々木忠監督が、小倉で任侠の世界にいた頃に関わっていたのは、本人の口からも聞いた。
大ヒットした「東映実録路線」が終わるきっかけになったと言われているのが「北陸代理戦争」だ。東映は北陸で現在進行形である暴力団抗争をモデルに、松方弘樹主演で「北陸代理戦争」を製作した。松方弘樹が演じる川田組長は、映画の中で喫茶店にいるところ襲撃を受け殺される。ロケ地が、「喫茶ハワイ」だ。
この喫茶ハワイは、もともと「川田組長」のモデルである「北陸の帝王」と呼ばれた川内弘の行きつけの店だった。映画の公開直後に、川内弘は「喫茶ハワイ」で実際に射殺されてしまうのだ。つまり、同じ場所で、全く映画と同じ場面が展開されてしまった。
川内弘が殺されたのは、「北陸代理戦争」が、もともとトラブルのあった人間たちを刺激してしまったのだとされている。
映画が現実となり、人が死んだ。映画は撮影時にもトラブルが続き、不入りだった。
その「喫茶ハワイ」が、2018年1月に閉店したというのは、東映実録路線ファンのつぶやきで知った。しかし、ハワイの建物はまだ残っていたのを、タクシーの中から目にした。
私が知る越前は、穏やかな場所だけど、このような凄惨な事件や抗争の舞台でもあったのだ。
「北陸代理戦争」と、川内弘の死については、以下の本が詳しい。
「映画の奈落 完結編 北陸代理戦争事件」(著・伊藤彰彦/講談社文庫)http://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000208029
東映実録路線といえば、今、週刊新潮に連載しているノンフィクション作家・松田美智子さんの菅原文太伝が面白い。ちょうど先週号では、深作欣二監督「仁義なき戦い」の話に突入した。
松田美智子さんは、故・松田優作のかつての妻だ。
取材が終わり、福井駅で解散し、私は特急に乗り京都に帰った。
ひとつ福井駅の近くで気になるところがあったけれど、インターネットで調べた限りは場所がはっきりせず、断念した。
福井駅近くの、おでん屋。ネットの情報では、もう今は閉店したらしく、なおさら調べようがないし、情報にも確証がない。
今回の取材は小説新潮に今連載している「果ての海」という小説のためだ。わけあって、関東からあわら温泉に逃げ、名前も顔も変えて生きようとしている女の話。
以前から、逃げる女を書きたかった。別の人生を送る女のことを。
ここまで書くと、あの事件かと、連想する方は多いだろう。
「松山ホステス殺害事件」は、1982年に愛媛県松山市で起こった。元同僚ホステスを殺し、逃亡した犯人の名は福田和子。
福田和子は幼くして両親が離婚したあと、売春宿を経営する母のもとに育つ。高校生のときに交際していた同級生が事故死し、自暴自棄になり高校を退学する。18歳のときに交際していた男と強盗に入り逮捕され刑務所に入る。松山刑務所で、暴力団関係者が看守を買収し受刑者を強姦するという事件が起こるが、その被害者こそが福田和子だ。
出所しホステスなどの職を経て結婚し子どもも産むが、元同僚を殺害し、出頭してくれという夫の説得を振り切り逃亡する。整形し顔を変え、その逃亡生活は15年にも及んだが、時効の直前に逮捕された。
逮捕された場所が、福井駅近くのおでん屋だ。和子はその頃、福井駅近くのビジネスホテルを定宿にしており、店の常連だった。懸賞金がつけられ指名手配されたことにより、和子をあやしんだ常連客により指紋のついたビールの瓶が警察の手に渡り、おでん屋を出たところで警察に逮捕された。
和子は一時期、金沢のスナックで働いており、その店の客だった和菓子店の店主の内縁の妻として店を切り盛りし、近所に住んでいた松井秀喜も和菓子を買いにきていたというエピソードは有名だ。
逮捕された福田和子は無期懲役が確定し、和歌山刑務所に収監されるがくも膜下出血で倒れ、2005年に和歌山市内の病院で57歳で亡くなった。
福田和子が興味を引くのは、強姦事件の被害者という悲惨な立場から、殺人事件の容疑者となり整形して逃亡し、スナック等で働きながら、男と暮らしたり、おでん屋の常連であったり、殺人犯なのに、過酷な状況の中でも、女として人生を謳歌しているような様子が見えるからだ。
そして福田和子が逮捕されたのちに、彼女の息子が母親についてコメントしているのも見たが、全く母のことは恨まず慕っている様子だった。和菓子屋にいるときも、親戚の子と偽って息子を呼び寄せて暮らしていたこともあるぐらいだ。
殺人事件を犯した女――けれど、息子にとっては、いい母親だった。和子が警察に出頭せず、逃げることを選択したのは、「新しい、違う人生を生きたい」という気持ちがあったのではないか。
逃げたいと思ったことは、ないだろうか。
私は今でも、しょっちゅう思う。違う人生があるんじゃないか、と。今の私は幸せだと思う。仕事に恵まれ、家族もいる。けれど、眠れなくなるほどに常に仕事のことを考えていることが、ときどきしんどい。安らかに眠るためには、すべて投げうって逃げるしかないのではと考えることがある。もちろん、それは一過性の願望に過ぎないけれど、「逃げたい」という衝動にかられてたまらなくなるとき、私は旅に出る。一日、いや、数時間だけでもいい。旅に出ることで、日常に戻り生活を続けられる。今の状況が嫌なわけでは決してない。でも、「逃げたい」という願望が消えない。
だから福田和子の逃亡劇は、どこか痛快だった。
15年も逃亡するほど生命力が強いのに、刑務所に収監されると間もなく、作業中に倒れあっけなく50代で亡くなってしまうという、その人生の幕切れも劇的だ。
逃げることで生きている女を書いてみたい。
北陸の孤独な海は、逃亡の旅に相応しい。
☆お知らせです。先週、私が出演予定の「ビーバップ!ハイヒール」が、放送延期とお伝えしましたが、急遽、チュートリアル徳井さんの出演場面をカットして編集をやり直し、今週7日に放映されることになりました。
気がむいたらどうぞご覧ください。
https://www.asahi.co.jp/be-bop/