2019年10月15日号。<花房観音の「輝いていない日々」 ~第20回~>

 おはようございます。ヨロンです。

 台風被害の全貌が明らかになりました。7県の37河川52カ所で堤防が決壊し(国交省発表14日午前3時現在)、土砂災害も19都県の計140カ所(14日午後6時現在)となって、大きな被害をもたらしたことがわかりました。
 長野では、秋の収穫時期を前にしたリンゴ園が堤防決壊により出荷できなくなったと聞きました。他にも多くの農家で被害が出ていると思われます。

 昨日は、八ッ場ダムだけでなく治水についての意見も多く、川の近くに家を建てることの是非や、収入格差による安全性の違いなどの意見もありました。
 信州人(すべてというわけではありません)は、田中康夫知事の『脱ダム宣言』で、ダムに関して勉強することになりました。鈍感な私も、治水、利水、多目的ダムの違いや、ダムの利権、お金の流れなど、それまでダムを見てもわからなかったことを学びました。
 八ッ場ダムについて感心があるのは田中さんの影響もありますが、たまたま私の近くに建設反対運動をしている人が何人もいたので、ダム建設について興味をもったのがきっかけでした。今まで疑うことも無かったダムの効能について、巨大公共事業の裏側が少しだけ見えたのです。
 もちろん、公共事業そのものを批判するのではなく、ダムも有意義なものがあることはわかっています。しかし、そこに大きなお金が動くときは、悪いやつが出てくるものなんですね。関電の件も結局金絡みになるわけですが。そうなると、本来の目的を逸れて建設することが目的となり、「公共事業」とは言えなくなります。

「命を守る行動をとってください」についても、いくつも感想や意見をいただきました。やはりこの表現に関しては違和感を持った方が多いようです。むしろ嫌悪感と言ったほうが良いという感想もありました。

 今日の観音さんのコラムにもありますが、「命」についてよく考えます。特に昨年暮れからは。命というより「生き方」と言ったほうが正しいかもしれない。家族や友人の死について、自分は何かもっと出来たのではないか。やるべきだったのではないか。そして、自分はどういう死に方、生き方をするのだろうか。
 昨夜、飲み会の席で「あんたは、『俺は野垂れ死にする』と言っているけど、そんなこと軽々しく言うもんじゃない」と怒られました。確かに、まだ軽く考えていたところがありそうです。
 今だからこそ「命」について考える機会なのでしょうね。逃げたいところですが。

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 花房観音の「輝いていない日々」 ~第20回~


 先日、「ミステリーの女王」山村美紗さんの夫・巍さんが再婚された妻・山村祥さん主催のパーティーに出席しました。祥さんは、元美術モデルで、現在は「SYOモデルサロン」にて、モデル派遣業、芸術関係のイベントを開催されたり、また画家でもあります。
 そして祥さんのモデルサロンゆかりの方々の作品が年に一度展示される「SYOモデルサロン展」に審査員として顔を出してきました
 今年はこのサロン展のパーティは10月でしたが、去年は11月30日に開催され、ついそのときのことを思い出さずにはいられませんでした。
 昨年の11月30日……勝谷さんの告別式の翌日です。お通夜、お葬式を終えて、まだあの頃の私は怒りと悲しみで泣きっぱなしで朦朧としていました。パーティの帰りにもらった赤い薔薇がとても綺麗で、ひとりで薔薇を手にして夜道を泣いて歩いたのを思い出します。
 あれから十か月が経ち、今は、怒りはだいぶ収まりました。そしてどうして私はあんなにも悲しかったのだろうというのを、ずっと考えています。恋人でも家族でもないし、しょっちゅう会っていたわけでもないのに。
 私は勝谷さんの死に傷ついていたのです。なぜ傷ついたのか、というのを、ずっと考えています。それはいつか書くかもしれないけれど、多分、そのまま書くことはしません。小説という形でしか書きたくない。でも、書かないかもしれないし、どちらにせよまだ時間はかかりそうです

 人の死にまつわる、つい最近見た映画が、心に残りました。
 白羽弥仁監督の「みとりし」。主演は榎木孝明さん。
「みとりし」とは、「看取り師」のことです。この映画を観るまでは、そんな人たちがいることを知りませんでした。
「みとりし」は、死を迎える人、その家族たちの手助けをする人です。医療行為はしないけれど、依頼を受け、死にゆく人の傍に寄り添い、死を見届けます。一般社団法人「看取り師会」の代表理事である柴田久美子さんを俳優の榎木孝明さんが知り、企画化され、榎木さんも年内に研修を終え看取り師の資格を習得されるそうです。
 榎木さん演じる主人公・柴は、高校生の娘を交通事故で亡くし、残された家族もバラバラになりました。あるとき、同じ会社の社員の死を軽ろんじる上司の言葉に哀しみ、退職し、その社員を看取った「みとりし」と出会うことにより、自らも「みとりし」になります。
 数年経ち、ある田舎町に、ひとりの若い女性・みのりが「みとりし」として赴任して、柴のもとで働きはじめます。みのりも幼い頃、母を亡くしていました。
 映画は、柴とみのりが、死にゆく者たちとその家族と交流を重ねていく様子が淡々と描かれます。もちろん、ものわかりのいい人間ばかりではばく、財産目当てなのかと遺族に罵倒されたり、死を目前にして荒ぶる高齢者から暴力を振るわれたり、孤独死と対峙もします。
 そんなときに依頼が来たのは、三人の子どもを持つ母でした。癌で死が近づき、子どもたちを残して死にたくないと泣き叫ぶ母、子育てをしながら妻に幸せな最期を送らせてやろうと願う夫……そこにみとりしたちが寄り添います。

 どうしたって、いつか迎える「親の死」を考えずには見られませんでした。映画の中には、遠方に住む息子と、田舎でひとり暮らしをしていて死を待つ父親も登場します。私は両親が若い頃に出来た子どもですが、さすがにふたりとも年を取りましたし、健康だとは言えません。子どもは4人いるけれど、全員、家を出ています。
 最近、同世代の女友達と顔を合わせると、必ず親の介護の話になります。そして親を見送った友人も、この年になると多い。
「みとりし」を見て、「幸せに最期を送る」という発想が私に今まで無かったことに気づきました。そこまで死が現実味を帯びていなかったのかもしれません。
 私自身のことも考えました。私と夫には子どもがいません。夫は再婚ですが、最初からお互い、子どもを作らないことでは一致していました。私自身は葬式もいらないし、墓もいらない、死んだらおしまい、それでいいと思ってはいるのですが、甥や姪に迷惑をかけたくないから、自分の面倒ぐらいは見られるようにはしたいとも考えています。
 けれど、そうして「死の準備」ができればいいけれど、現実にはいきなり死んでしまうことだって十分にあり得ます。
 団鬼六先生が、癌を告知されてから書かれたエッセイの中に、「癌はいい病気だ。死ぬ時期が予測できるから、準備ができるし、お別れも言える」というような一文がありました。その通り、団先生は、亡くなる一か月半前に、墨田川に屋形船を浮かべて花見をし、「ねがわくば 花のもとにして春しなん」という、西行の歌を詠んでお別れをされ、私もその場にいました。呼吸器をつけて、自力歩行もできなかったけれど、最期の別れの会を開かれ、見事な幕引きでした。
 でも、そんな「見事な幕引き」ができる人なんて、ほんの一部です

「みとりし」を見ながら、どうしても勝谷さんのことが浮かんできました。「見事な幕引き」「潔い最期」とはほど遠い亡くなり方でした。
 アルコール依存症であることを認めず、必死に彼を生かせようとしている人たちに悪態をつき、あげくの果ては病院に酒を持ち込んだときは、「裏切り」という言葉が浮かび、腹が立つのと同時に胸が痛みました。私が、このままじゃ死ぬからと不安になり、「お酒をやめて」と言っても、「やめられないんだよ」とだけ返ってきて、結局その通りになってしまった。あのとき、私は直接会って強く懇願すべきだったのだろうか……ともたまに考えます。どうせ私の言うことなんか聞かないだろうとは思っていたけれど。
 勝谷さんの死が悲しいのは、酒に飲まれてしまった彼自身のふるまいにより、きちんとお別れができなかったのもあるかもしれません。勝谷さんらしいと言えば、そうかもしれないけれど、残された人間は、彼の不在をどうすればいいのか。
「みとりし」では、亡くなる人だけではなく、見送る家族がいかに心穏やかにお別れをできるのかというのも考えさせられました。
 映画は関東地方では11/9~に横浜で、大分、鹿児島でも今後上映が決定しています。
 詳しくはHPをご覧ください。

「みとりし」
http://is-field.com/mitori-movie/index.html 

 もうひとつ、「残された人々」の映画について書きます。

 2011年に公開されたドキュメンタリー映画「監督失格」。
監督は平野勝之、「新世紀エヴァンゲリオン」の庵野秀明がプロデューサーを勤めています。
 鬼才と呼ばれたAV監督・平野勝之は、1997年にAV女優・林由美香と北海道の北の果てまで自転車旅行に出かけます。その当時、ふたりは恋人関係だったのですが、平野には妻がいるので、これは不倫になります。けれどそれもふくめて仕事にしよう! と、この旅は「わくわく不倫旅行」というタイトルでAVとして発売されます。のちに「由美香」と改題され、一般の劇場でも公開され話題になりました。私がAVに強く興味を持ったきっかけも、この作品です。
 旅が終わったあと、恋人関係は終わり、ふたりは友人になりました。平野勝之は、この旅がきっかけで自転車に目覚め、北海道自転車の旅を作品にし続けます。林由美香は、短い恋を繰り返しながら、AVのみならずピンク映画でも活躍を続けていました。
「監督失格」の前半は、この「由美香」、つまり過去のふたりの自転車旅行のダイジェスト映像です。
 2005年、林由美香は、自宅でひとり亡くなっているのを発見されました。死因は事故死、睡眠薬と酒によるものだと発表されました。年下の恋人と別れ、精神が不安定になっていて、睡眠薬と酒が手放せなかったようです。

 かつての恋人だった平野勝之は、久々に林由美香を撮影することになったのですが、待ち合わせの場所に彼女が現れません。電話にも出ない。翌日になっても連絡がとれないことを心配して、平野は由美香ママと、助手であるペヤングマキと共に、由美香の部屋を訪ねます。
 部屋の前に3人が立ち、新聞受けを開けると、「臭う。なんか臭うよ」と、林由美香の母親・由美香ママが口にします。鍵を開けて中に入りますが、「怖い。平野さん、見てきてよ」と、ママが平野に頼み、彼がひとりで奥に入っていきます――。
 このあと何が起こったかは、書きません。興味ある方はDVDになってるので見てください。助手のカメラが回っていたので、ここで起こった出来事はすべて映像として記録されていました。部屋に入ってからは、カメラを床に置きますが、その間もフィルムは周り続けています。
 試写会で初めてこの映像を見たときは、「おそろしい」と思いながらも目が離せませんでした。私たちは、平野勝之が由美香ママに頼まれ行った、あの部屋の奥に何があるのか、知っているのです。
「監督失格」の後半は、この場面、そして林由美香亡き後の、人々の苦しみと葛藤が描かれます。かつての恋人の死の第一発見者となってしまった平野、そして、娘を亡くした母親。
 由美香ママこと小栗冨美代さんは、ラーメン屋、「野方ホープ」の創業者です。何度か離婚していて、由美香さんと、父親の違う息子がいます。離婚時に父親に引き取られた由美香さんは、父の後妻と折り合いが悪く家出をして、処女を売った金で部屋を借り、年齢をごまかしてホステスなどの仕事を経てアダルトビデオにデビューし、それからずっと裸の世界で生きてきました。
 母は、昔、自分が手放してしまったがゆえに身を売ってひとりで生きてきたた娘に対して、罪悪感を抱いています。また娘も母親のことが好きで愛情が欲しいのに、自分は母親に捨てられたのだと過去の恨みが邪魔をして、ふたりはお互い仲良くしたいのに衝突することを繰り返していました。
 平野と由美香の北海道不倫旅行の際には、過酷な旅で心細くなった由美香が、母親に電話して、「ママの声が聞きたかった」と、子どものように泣きじゃくる場面があります。ふたりとも、誰かに頼らず、自分の足で、必死に生きてきたのです。でもだからこそ、犠牲にするものがあった。
 それでも時間をかけ、弟を含めた家族3人で旅行したりと、母と娘の穏やかな日々がはじまろうとしていた矢先での、林由美香の死でした。
「監督失格」では、残された人々が、「死」と共に生きていく姿が描かれていきます。娘を亡くして、抜け殻のようになる母親の姿は痛々しく見ていて辛くなりますけれど、それでも彼女は強く生きていこうとします。
 ラストでは、平野勝之が、由美香とさよならするための「お葬式」を行い、絶叫が闇に響きます。
 それは死者ではなく、生きているもののために必要な儀式でした。由美香と訣別するために、平野自身がやらずにはいられなかった。
 私は誰かの死を想う度に、「監督失格」のラストシーンが脳裏に浮かびます。
 別れたくない、でも会えない、どうしてお前はいないのだ、さよならも告げられなかった、お前の不在を何で埋めればいいのか、埋められるわけがない、生きていくのがつらい、悲しい、悲しくて苦しい、お願いだから、俺の前から消えてくれ、これ以上、苦しめないでくれ――。
 酒と睡眠薬の事故で急死したかつての恋人に、平野は怒りながら叫びます。けれどその怒りの声は、あまりにも哀しくて、人の死の残酷さを思い知らされます。
 叫んでも叫んでも、忘れられるわけがないのが、わかっていても、泣き叫ばずにはいられない。俺から、離れてくれ。離れられないのは、自分のほうなのに。忘れられないのが、つらいから、名前を呼ぶ。もちろん、それでも忘れられない、さよならなんてできない、生きていく限りは、離れられない。ずっとずっと、死ぬまで、二度と会えない人の名前を闇の中で叫び続ける――。

 この映画には、由美香ママが「素晴らしい映画です」と、コメントを寄せています。
由美香ママも、まるで映画の公開を見届けてからと決めていらかのように、数年前に亡くなりました。
 東京のある墓地で、母と娘は今、一緒の墓に眠っています。
 墓には綺麗な由美香さんの写真が掲げてあります。
 年をとらない綺麗なままの顔で、大好きなママのそばに彼女はいます。

「監督失格」
http://k-shikkaku.com/

 生き残った者は、亡くなった人を、自分の中で、どう葬ればいいのか。
 このふたつの映画は、人が生きる上で絶対に避けられない「別れ」をつきつけてきます。

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