2010年3月29日号。<基地のどこが嫌でダメなのかという腑分けをきちんとして論じない大マコスミの煽情わあわあ主義を駁す>。

 2010年3月29日号。<基地のどこが嫌でダメなのかという腑分けをきちんとして論じない大マコスミの煽情わあわあ主義を駁す>。  3時起床。  東京の桜がこれほどバラバラな咲き方をしているのはちょっと記憶にない。陽当たりがいいところではほぼ満開かと思えば、ほんのいくつかの枝だけに花がある樹もある。  なるほど桜が桜であるというのは一気にあらゆる樹木が同時に咲くカタルシスだと感じるのである。ところがこの花冷えだ(いい日本語ですね)。咲く途中で冷凍庫に入れられたようなものである。いつもの「いっちょいったるか~」的な咲き方ができずに、樹ごとの「個性」が出てしまっている。だがこれはこれで楽しいではないか。ゆっくりと桜の季節を過ごさせてもらっていると思えば。  三文コラムニストとしては、天が日本国民に警鐘を慣らしていると書きたくもなる。ああ、天声人語みたいで嫌だけど(笑)。  なにごとについても盥の

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