2019年11月28日号。<勝谷誠彦の命日を迎えて>

 一年前の11月28日。
<勝谷誠彦 生まれ育った尼崎にて旅を終える>
というタイトルでメールをお送りしました。

 その前日の27日朝、関係者のメールで勝谷さんが人工呼吸器をつけたことを知りました。
人工呼吸器については知識がなかったのでどういうことかわからなかったのですが、検索してみて最期が近いことを知りました。
その一週間ほど前は、毎日5回以上電話があり、
「俺は書いたほうが良いのかな?」
「そうだよ。書いてよ」
「どれくらい書けば良いのかな?」
「10字でも100字でも良いよ。読者は喜ぶよ」
「わかった。書いたら送るよ。読者増やさなくちゃな。頑張ろう」
と、毎回同じやりとりをしていたのです。声は元気がなく掠れていましたが。

 27日の夜8時頃、有楽町の駅のホームに立っていたときに、T-1君から
「マジでダメそうです」と、電話がありました。

 そして、それから6時間ほどした28日午前3時頃、T-1君から電話がありました。
「やっぱりダメでした」

 入院してから最期の日までは、みなさんにお伝えしたとおりです。

それから一年。なんとか休まずにメールをお送りしてきました。
今年は12年に一度の選挙イヤーだったこともあり、結構体力的にキツいときもありましたが、続けてこられたのは、毎日励ましのメールをいただいたことです。文章に元気が無いと「無理しないで」「一日くらい休んでも良いから」という言葉を送っていただきました。
そして、送られてくるメールの向こうに、「今日も来た」と、静かに目を通している多くの方が見えるような気がしました。もちろん、毎日は読みきれず興味の無い内容もあるので、つまみ読みしかしていない、というので構いません。それを前提でいろいろなコラムをお送りしているのです。

 1年間続けてきて思ったのは、
「やっぱり勝谷は変な奴だな」
ということでした。毎日5千字を書くのは、やはり至難の技です。新聞と同じことだけを書いても意味ないので、そこに自分の考えや別の情報も入れたくなる。そのためには、早起きして新聞を読むだけでは駄目なのです。一日中、考えていることになる。それを12年。いや、さるさるから入れると20年近く休みなしで続けてこられたのは、よほど変わっていたと言えます。
私はよく本人の前で「365日こんなメールを続けられるのは、頭がおかしいんだよ」と言うと、勝谷さんは笑っていましたが、まさかそれを実感することになるとは。

 もうひとつ思ったのは、彼の文章の魅力でした。簡単で陳腐な表現にしてしまうと「オリジナリティ」となりますが、そんなものではなかった。自虐的で、女々しくて、でも偉そうで。その上に自慢話が続くのですが、ときおりハッとさせられる知識や情緒的で独特な表現が、脳みそのどこかを刺激するのでした。

 プロの執筆陣や、ゲストによるコラムも掲載してきましたが、やはり勝谷は勝谷。彼の残像を追い始めると、とたんに無力感に苛まれました。
それでも継続できたのは、繰り返しますが、日々届く感想でした。読むのが精一杯でなかなか返事は出せないのですが、それでも毎日一喜一憂しながら読んでいます。

 そして、毎日何かのニュースを見たり、誰かと話をしていて思うのは、依存症についてでした。
4年ほど前に、先日亡くなった吾妻ひでおさんの『失踪日記』と『アル中日記』を何度も読み、まんしゅうきつこさんの『アル中ワンダーランド』も読んで本人にも会って話をして、さらにアル中関係の本やサイトで勉強したにも関わらず、依存症であることを本人に認めさせ、治療に向かわせることはできませんでした。

 この一年間、私は「なぜ死ぬまで飲ませちゃったんだろう」ということばかり考えていたような気もします。自分の親や従兄弟を死なせてしまったときもそうでした。
もっと他に何かできたのではないか……。
何か専門施設に入れる方法があったのではないか……。

 夏の選挙が終わり、「今年後半は、これからのための準備期間だ」と自分で決めていろいろやっていますが、ここ数日は自分でも普通ではないような気がしました。あ、軽井沢での泥酔事件は、単なる飲みすぎです(苦笑)。

 現在、来年から始めることを考えていますが、まだ積み残しになっていることもあります。
遺品整理はT-1君と有志のみんなが頑張ってくれて、終わりが見えてきましたが、講演録の共有化や未発表作品のデジタルデータ化、映像アーカイブのポッドキャスト化も途中です。

 そして、もっと全国をまわってみたい。
ちなみに、突然決まったのですが、来月、12月14日に島根に仕事で行きます。時間がまったくわからないので、なんとも言えませんが、もし島根でこれを読んでくれている方がいて、都合つけられるのであればオフ会を行いたいと思います。まだ詳細は未定です。たぶん松江だと思うので、決まり次第連絡します。はたして、島根で読者にお会いすることができるか。

 これからも、湿っぽくしたくないと思います。来年は、懸案のままだった香川、鹿児島、札幌、そして他の地域にも行きたい。T-1君が一緒に来るかどうかはわかりませんが、できればコンビで。

 そういえば先日、「勝谷さんて普段はどういう人だったんですか」という質問を受けました。通常はテレビ、ラジオや著作物を通しての表情を見ているだけなので、素の姿は知らないのが当然です。

 おそらく、彼の素の姿を知っているほとんどの人が言うのは「優しい」でしょうね。テレビでは、自分のキャラを演じているようなところがありました。でも実際は、相手のことを思いやれる優しさがありました。それは、育ちの良さによるものでしょう。本人は「ノブレス・オブリージュだよ」などと言いそうですが、そんなに高貴なものではなく、「子どもは嫌いだ」と言いながら、親に虐められている子どもを見たら、その子を保護してから親を殴りに行くような感じです。
しかし、嫌な面も持ち合わせていました。人前で平気で相手を罵倒したり、相手の人格を否定するキツさです。私は特にここ数年、そんな場面をいくつか見てきて、亡くなる半年前くらいからは、一緒にいるのが苦痛でした。それは、平日の昼から平気で私に酒を飲ませようとしていたことも理由としてはありますが。

 それでも、数人から「よく最後まで一緒にいましたね」と言われます。別に無理して一緒にいたわけではありません。嫌な場面は見ても、私が「ダメだよ。そんなことしちゃ」と嗜めると素直に聞いていたし、普通に話しているときは単純に楽しかったからかもしれません。
価値観も近かった。価値観と言っても、列に横入りしている人とか、山に行ってゴミを捨てて帰る人が許せないといったレベルの話です。一緒に飲んでいたときは、話していて嫌な思いをしたことはありませんでした。

 これからは「勝谷のように」と意識することは徐々にやめていこうと思います。追っても無理なのはわかっているので。そして、自分の残り人生を考えると、価値観の近い人と付き合っていこうと思います。それは、右とか左とかの思想的なものではなく、映画の上映中に隣の友人とヒソヒソ話している人とは付き合わない、というようなことです。自然と、ニュースの捉え方にもそんな価値観が反映されるはずです。本当は、勝谷さんもそうだったはずなのですが、彼は物事の善悪よりも、人とのつながりの方を重視するところはあったかもしれません。

 これからも、命日には酒を飲みながら「勝谷って本当に嫌なやつだったよなあ。でも、憎めないんだよなあ」と同じ話をしていきたい。

 今日の18時半から『新・血気酒会』を行います。
FacebookLive
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YouTubeLive
https://www.youtube.com/watch?v=tOdexnn22qs

 血気酒会もいつものように観覧自由ですが、終わってから東京麺通団に移動して、12月1日のイベントの打ち合わせを行うつもりですので、もし都合のつく方は、20時半ぐらいに麺通団にお越しください下さい。

 今日は、命日ということで挨拶のみとなりましたが、明日から通常モードに戻ります。水島先生のコラムは今日だけお休みとなります

 では、良い一日を。

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