2019年10月24日号。<一芸百芸 ~くびれた線を上手に書きたい~:水島二圭>
おはようございます。ヨロンです。
プロ野球日本シリーズは、ソフトバンクが4連勝で日本一になる、という結果で終わりました。
小学生のころ、自分のことを「野球キチガイ」と称していた私は、『巨人の星』を本がボロボロになるまで読むだけでなく、テレビの野球中継を見ながらスコアを付け、選手名鑑を暗記し、球場の両翼の距離まで覚えていましたが、今はすっかり関心がなくなってしまいました。ソフトバンクと聞いても『WeWork』に1兆円の支援を決めたというニュースを思い浮かべるくらい。それにしても「キチガイ」と差別意識ゼロで、むしろ今で言うギーク(geek:オタク)の意味で言えた良い時代でした。
木曜日は水島先生の書のコラムですが、私が大学で人工知能について講義する日でもあるので、どうしても「書とAI」という不思議な組み合わせとなります。
生徒とは、最終的には「人間の体は必要だろうか」「意識が永遠に残るとしたら」という、少し哲学的な題を与えて一緒に考えていこうと思っています。そのために、毎週最新ニュースをチェックしています。
先週、「人工知能の今」を知るニュースとして以下を紹介しました。
<AI記者、AI小説家、そしてAI作曲家も――創作する人工知能を支える技術>
https://www.itmedia.co.jp/news/articles/1910/07/news043.html
長い記事なので、簡単にまとめると
・実証実験レベルではあるが、すでにAIがスポーツ記事を作成している(アメリカ)
・AIが書いた小説が「星新一賞」で一次審査を通過(日本)
・AIが描いた絵が4900万円で落札された(フランス)
・動画からAIが曲を生成する(中国)
といった事実から、どんな技術が使われているか解説していきます。
今週はディープラーニングについて説明するつもりでしたが、グーグルが量子コンピューターの「超計算」(量子超越)に成功したというニュースがあったので、取り上げようかどうか迷っています。これはかなり難しい。
量子コンピューターは、人工知能を実現するためには欠かせない技術ですが、それを説明しようとすると、まず普通のコンピューターを解説しなければならない。私が解説するので、事業仕分けでの「二番じゃダメなんですか」も入れるでしょう。それでも、生徒の3分の1は寝てしまうのですが。
そこで、「書」に絡めたらわかりやすくなるのではないか、と思いつきました。まず、人間が「字」を認識する仕組みを考えます。たとえば、「3」という手書きの字を見て、それが3であることを認識する。これが第一段階。次に第二段階として、その3がどういう意味なのかを人工知能が理解できるようにする。さらに、毛筆の場合にどこまで人工知能は「意識をして」書けるようになるのか。そのために、どれだけ膨大な処理能力が必要になるのか。「筆の表と裏を使ってしんにょうを書く」などというのは、人工知能はどうやって理解するのでしょうか。
単に授業の題材として捉えるだけでなく、「文化とはなにか」というところまで行かれればと思うのですが、それは自分にとっても大きすぎるテーマです。
アートにまで話が行ってしまうと、「あいちトリエンナーレ」の話題に進み、話は脱線して生徒の頭の中は混乱します。それでも独演会と化した講義は終わらず、90分を過ぎたときには、私も生徒もヘロヘロになっているのです。
今日の水島先生のコラムでは、例として画像を用いていますので、この日記をアップするときに画像を入れておきます。
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一芸百芸 ~くびれた線を上手に書きたい~
水島二圭(書家)
今日は久々に書の技術に関するお話をさせていただきます。
ご承知のように、毛筆は穂先が紙に触っているかどうかさえ分からないような柔らかい獣毛でできていますので、神経を研ぎ澄ませて運筆しなければなりません。
太く書く場合は筆圧を加えて穂先を広げ、細く書く場合は筆を浮かせて穂先がまとまった状態で書きます。
以前申し上げましたが、字形は主に筆の水平動によって形成されるのに対し、線の太細は筆の上下動によって形成されます。
同じ太さの線で書くならば、パンタグラフのように手を水平に移動させれば済むのですが、それだけでは立体感のある文字、また、生命感のある文字は書けません。水平動に加えて筆の上下動を取り入れる必要があります。
ボールペンなど一般的に硬筆とよばれる筆記用具は、先の部分が硬くなっていますので、多少の筆圧変化は可能なものの、物理的に上下動を取り入れることが難しい仕組みになっています。
ですから、線質よりも字形の美しさを求める「習字」になってしまうことは止むを得ないと言えます。
それに対して毛筆は、水平動によって字形を形成し、上下動によって線質を生み出してゆくことが可能な、というより、それが機能するように作られた筆記用具ですので、そこが「習字」と「書道」の違いを生み出すと言ってよいかもしれません。
(以前申し上げましたが、私は「習字」と「書道」は根本は同じだと思っておりますので、二つを分けて考えることには反対ですが、ここでは一般論として申し上げています。)
というわけで、毛筆の書は筆の水平動と上下動によって生み出されるわけですが、卓れた線質を生み出すためには、さらに、筆管を右に傾けたり左に傾けたり捻りを加えたりという様々な筆使いの技術を身に付けなくてはなりません。
一つの技を身に付けるのに数か月、場合によっては数年もかかるものもある訳ですが、私のように50年以上も筆を握っていれば、特段の才能が無くても大抵のことはできるようになります。
しかし、私が何年も取り組み続けていて未だに難しいと思う筆使いがあります。
それは「一本の線を引きながら『筆の表と裏』を入れ替える」という技法です。
『筆の表と裏』というと奇異に感ずるかもしれませんが、分かりやすく言えば『穂先と腹』ということになります。
大筆でも小筆でも筆をお持ちの方は実際に試しながら読み進めていただきたいのですが、筆を普通に持つと筆管が若干手前に倒れると思います。
その状態で漢数字の「一」を書いた場合、上の部分を穂先が通過し、下の部分が筆の腹が通過することになります。その「穂先が通った上の部分が表」「腹が通った下の部分が裏」ということになります。(筆管を立てて書く方法もあるのですが、ここでは一般的な筆法で話を進めます。)
少しでも書を学んだ方は、自然にそのような書き方をしているわけですが、その穂先と腹の使い方が難しい線がいくつかあります。
例えば「しんにょう」です。
「しんにょう」の最後の払いの部分がうまく書けない方が多いのですが、それは最後の払いの時に穂先が上を向かずに、今来た方向、つまり左側を向いている、あるいはこれから引く方向、つまり右側を向いているのです。
多少の練習は必要ですが、筆を右方向に払い去る時に穂先が上を向いていれば、綺麗な「しんにょう」が書けるはずです。「人」という字や「大」という字の右払いも同じ要領です。
筆の表と裏の使い方にはいろいろなバリエーションがあるのですが、その中で私が最も難しいのではないかと思う筆使いは、「菖蒲やアヤメの葉が途中でくびれて状態を一筆で描く」という技術です。
水墨画などでもよく描かれる線なのですが、ほとんどの画家は、くびれの上の部分と下の部分を別々に二筆で描いているはずです。
私はこれを一筆で書く練習をこれまで何千回となく繰り返ししてきましたが、なかなかうまく書けません。
うまく書けるときもあるのですが、その精度や確率がなかなか上がらないのです。
画像を挙げておきますので比べていただきたいのですが、一筆で書いても二筆で書いても出来上がりにそれほどの差異はありません。(左側が二筆でかいたもの。右側が一筆で書いたもの)
ですから「くびれた菖蒲の葉」を描く場合は 二筆で書いても全く問題ないのですが、私は、書の線としてどうしても会得したいと思っているのです。
なぜかと申しますと、実は、平仮名の「し」を立体感があって美しい字に仕上げようとすると、どうしても「一筆でくびれを出す技」が必要になってくるのです。
もう一度画像を見ていただきたいのですが、右側の線をよく見ると平仮名の「し」に見えないでしょうか。
書き出しの時に穂先が左を向いていたのが、途中で向きが右に変わり右下に自然に抜けてゆく、私はそのような「し」を、たとえどんなに細い線であっても、それが感じられるように書きたいと思っているのです。
私にとってこの作業は大筆ですと比較的上手にこなせるのですが、小筆になると指先の動きがどうしてもぎこちなくなってしまうのです。
この線が引けるようになれば、それだけで筆使いは一流と言ってもよいと思いますので、皆様も、是非、挑戦してみてはいかがでしょうか。
実は以前、ある日本画の先生とこの線の話をしたことがあり、その時、私が実際に「くびれた菖蒲の葉」を半紙に一筆で書くところをお見せしました。
先生はそれを見て非常に驚いた表情で「線を引くことに関しては、画家は書家にとても叶わないなあ」と溜息まじりに仰いました。
私はその一言で長年の苦労が一瞬報われた気がしたのでした。
一作献上 「 一枚の紅葉 かつ散る 静かさよ 」 高浜虚子
一枚の紅葉した花びらに秋の美しさを感ずる、そんな感受性をいつまでも持ち続けたいとものです。