2019年10月22日号。<逃亡の旅 第24回 ~ 越前に逃げる その1~:花房観音>

 おはようございます。ヨロンです。

 本日、「即位礼正殿の儀」が行われます。東京はあいにくの雨になってしまいましたが、パレードは11月に延期になったので、皇居は雨の中厳粛な雰囲気でその時を待っているようです。両陛下のこれからのご活躍を願っています。
 半蔵門でも一ヶ月ほど前から警備の警官が増え始めたような印象がありました。桜田門は、門の壁にライティングが施され、夜になると幻想的に光っています。
 勝谷さんだったら、この日を待って考え抜いたお祝いのコメントを披露したことでしょう。同じ世代として、特別な思いもあったに違いない。雨の中、皇居まで出かけていたかもしれません。

 このような善き日に、いきなりこの話題では不敬かもしれませんが、この『××な日々。』だからこそ取り上げないわけにはいきません。
 吾妻ひでおさんが亡くなりました。
 鬱やアル中で、2度に渡る失踪と入院を経て復帰したものの、食道がんで69年の生涯を閉じました。
 失踪とアル中の記録を漫画にした『失踪日記』と『失踪日記2 アル中病棟』は何度も読みました。昨夜、また手にとって読み直してみると、驚いたことにほとんど覚えていないのです。記憶するほど読んだはずの『アル中病棟』の方は、「あれ?本当に読んだっけ?」と思ってしまうほど。ところどころ鮮明に覚えているページが出てくるので、読んだはずなのです。

 『失踪日記』には、医師がアル中について説明するシーンが出てきます。
「そもそも、アルコール依存症とは不治の病気です。一生治りません。ぬか漬けのきゅうりが元のきゅうりに戻れないのと同じです」
 勝谷さんは以前、「俺の脳みそはだいぶ縮んているはずだよ」と言うので、「じゃあ、酒やめろよ」と私が言うと、「いや、やめても戻らない」と偉そうに言っていて腹が立った記憶があります。ここでも書いたかもしれません。

 吾妻ひでおさんは、幻覚が見えるほどになり、三鷹の総合病院の精神科に入院します。1998年12月26日でした。それから約20年。天才の晩年はどうだったのでしょうか。
 中島らもさんもそうだったけど、決して馬鹿ではない。いや、自分を律することができないのだから馬鹿か。勝谷さんは、選挙のときには「私は教養も知識もある」といつも自慢していましたが、教養も知識もある人が人生を壊してしまう酒とは何なのか。私は晩酌はしないものの、外で飲むときは際限無く飲んでしまうので、自分を律することができているとは言えませんが、酒についてはいろいろと考えてしまいます。

 サスペンスドラマによく出てくる東尋坊は、何の柵も無い断崖絶壁の場所に観光客が行き、ギリギリのところに立てるのですが、すぐに落ちてしまうような場所なのに、あまり事故が起きたというニュースはありません。もっとも、頻繁に足を滑らす人が出れば、立入禁止になるのでしょう。

 そう思っていたところ、ドラマのような事件がありました。

<死因は脳挫滅 生きたまま東尋坊転落か 滋賀トランク監禁事件>
https://mainichi.jp/articles/20191021/k00/00m/040/280000c
<知人男性を車内に閉じ込めたとして滋賀県内の少年ら7人が逮捕され、この男性が福井県の東尋坊近くの海で遺体で見つかった事件で、滋賀県警は21日、男性を司法解剖した結果、死因は脳挫滅だったと発表した。遺体が見つかった付近は海から高さ約20メートルの断崖が切り立つ場所で、県警は、男性が崖から転落し岩に頭をぶつけて即死したとみて、さらに詳しい経緯を調べる。>
 夕方6時までトランクに閉じ込めていたようなので、落としたとしたら暗くなって観光客がいなくなってからだと思いますが、近くには食堂もあるし、誰も見ていた人はいなかったのでしょうか。防犯カメラは?
 犯人はおそらく監禁容疑で逮捕された6人でしょう。しかし、なぜ?どうやって?東尋坊が舞台なだけに、どうしてもドラマの1シーンのように考えてしまう不思議な事件です。

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 逃亡の旅 第24回 ~ 越前に逃げる その1~

 花房観音(小説家)

 もう十年以上前になるが、ある時期、毎日のように京阪神から日帰りで福井県に行っていた。添乗員としての仕事だったが、特殊な旅行なのでコースが何種類か固定していることもあり、同じ場所に続けていくことが多かった。
 雪の少ない冬だった。越前海岸を、毎日のようにバスで走った。海に向かって水仙が咲いている光景がちらほらと見える。越前海岸の一部は、街灯が水仙の形をしている。荒々しい日本海と断崖絶壁に一見不似合いな可憐な白い花、水仙の花言葉は、「うぬぼれ」だ。
 由来は、ギリシャ神話から来ている。ナルキッソスという美少年は、その若さと美貌により、多くの人に愛されたが、彼自身は自分に恋心を抱く人たちにつれなく、時には侮辱し傷つけ、悲しませていた。そのことに怒った神により、ナルキッソスは自分しか愛せない呪いをかけられる。
 泉の水を飲もうとしたナルキッソスは、水面に映る自分の姿に恋をした。手を伸ばしても触れることはできず、声をかけても、答えはない。ナルキッソスは恋に苦しみ、せめて口づけしようと顔を近づけ、そのまま泉に落ちて死に、亡くなったナルキッソスが姿を変えたのが水仙の花だと言われている。
 冬の越前海岸、荒い波が岩にぶち当たり飛沫をあげる。そんな自然の激しさなどおかまいなしに海に向かって咲く、自分しか愛せない少年の花のコントラストを眺めるのが、好きだった。
 自分しか愛せないのは悲劇だけど、自分すら愛せないのは、もっと悲劇だと思いながら。

 越前への仕事のときは、坂井市丸岡町にある「越前竹人形の里」に必ず立ち寄った。
「越前竹人形」とは、昭和20年代、師田保隆・三四郎兄弟が竹籠・花器を作った際の廃材で何かできないかということではじまった越前の伝統工芸品だ。しなやかな竹を使った人形や水仙は、凛として気高い。
「越前竹人形」という小説がある。福井県若桜出身の作家・水上勉によって書かれ、若尾文子主演で映画化もされている。

 越前に行く際に、見学と昼食を兼ねて何度も訪れていたのが、東尋坊だ。
 今年の7月、小説新潮ではじまるあわら温泉が舞台の物語の取材のため、編集者たちと久しぶりに東尋坊に来た。
 東尋坊というと、「自殺の名所」を、まず連想する人も多いだろう。けれど、実際に足を踏みいれると、陰鬱な雰囲気などなく、観光地として賑わっていた。駐車場から一本道をすすむと、道の両脇には、海産物を中心としたレストランや土産物屋が立ち並んでいる。旗をもったバスガイドに誘導されて歩く団体客も絶えない。店の表でイカや貝が焼かれていて、匂いが胃を刺激する。食の誘惑を振り払い、店が途切れたところまで歩くと、階段があった。降りると、目の前に絶景が広がっていた。
 前回「あわらに逃げる」にも書いたように、この取材は編集者三人が同行していた。私以外は皆、東尋坊に来るのは初めてだった。
 東尋坊は、荒々しい岩肌の柱状節理が延々と続き、一番高い崖は、海と25mの落差があると言われており、国の名勝・天然記念物に指定されている。
 昔、平泉寺に東尋坊という僧がいたが、乱暴者で悪事の限りを尽くしたという。また東尋坊はある美しい姫に焦がれてもいた。恋敵である僧が中心となり、ある日、東尋坊を海辺見物へと誘いだした。酒を飲ませ眠り始めた東尋坊を、僧たちは断崖の下に突き落とす。その日から、49日間、海は大荒れになった。
 つまりは恋敵に殺された僧の名前なのだ。
「これは……吸い込まれそうで怖い」
 編集者のひとりが身を乗り出して、崖から海を眺める。
「あぶないから気をつけて」と、他の編集者が心配そうな声をあげる。
 男性編集者は、立っているとバランスを崩しそうだからと、はいつくばっていた。
 見下ろすと、はるか下に海が崖に当たり小さな飛沫をあげる。岩はところどころ刃のように尖っている。死のうとするものを待ち受けているかのように。
「ここから飛び降りたら、まっすぐ海に落ちればいいけど、岩に身体が当たったり刺さったりしますね……」
 私はつい、そう口にした。
 自殺の名所――そう不名誉な評判が立つところではあったが、久しぶりにこうして見下ろしてみると、たやすく死ねる場所ではない。身体が岩にぶち当たる痛みを想像すると躊躇するのではないか。
 けれど、海が呼んでいる、吸い込まれていきそうな感覚もある。たとえ死ぬ気はなくても、ここに立っているだけで、風に背を押され海で死んだ坊主に導かれているかのような怖さがある。
 編集者たちと崖を離れ、遊覧船に乗った。船で海から崖を見上げると、落差の大きさがわかる。船からは雄島も見えた。崖で身を投げた人が流れ着くとも言われている島だ。
 船から公衆電話も見えた。10円玉が常備され、死を考えた人たちが、その前に迷いが生じたときに助けを呼ぶために設置されている「救いの電話」だ。今は昼間で空も明るく観光客も多いけれど、人気のない夜などに、やはり訪れる人たちはいるのだろう。
 今回、私が書く小説の主人公は、わけあって「逃げる女」だ。逃げても逃げても逃げられぬことを知っているから、死を考えもする。
 死にたいと思ったことのない人間は、どれぐらいいるのだろうか。ネットなどで、自傷行為を晒す人、「自殺を考えたこともある」と告白する人たち、「死にたい」とSNSで発信する人たちを見る度に、いつも考える。
 私は20代、消費者金融で借金を背負い、言葉の暴力で痛めつける男との生活の中で、毎日、「死にたい」と願い、夜にふと包丁を並べていたり、高い建物の窓辺に立ったり、踏切の前で飛び降りたい衝動にかられることはしょっちゅうだった。30歳までに死のうと思っていたし、長生きなんて考えたくもなかった。「将来の夢や希望」を問われる度に、答えに詰まった。私は生まれてきたことが間違っている、クソ人間、できそこない、クズだから、子孫など残してはいけないと、結婚も出産も自分の人生にはありえないことだった。
 30歳を過ぎて、思いがけず生き残ってしまい、40を過ぎ、50の坂が眼の前にある。生きるのがめんどくさいとは今でもときどき思うけれど、小説家になってからは死にたい気持ちはほとんど消えた。
 私の友人でも、ずっと死にたいと思って生きてきたけれど、子どもを産むことによりその願望が消えたという娘がいる。何か生み出すことにより、初めて自分が生きていることを許されると思うのだろうか。
 けれどこの先、死を願わない保証はどこにもない。孤独と闇に取り込まれぬようにと気をつけてはいるけれど、死はいつも目の前にある。私も睡眠薬が無ければ、間違いなく以前のように鬱状態になるだろう。とにかく眠り、心を失いそうになったら、近くでもいいから旅に出る。そうしてギリギリのところで生きている人間は、私だけではないはずだ。
 断崖から離れて、編集者たちと道沿いの食堂で海鮮丼を食べた。新鮮な魚が安くで食べられる。食べ物が美味しいと思っているうちは、死なない気がした。

 翌日の取材は、永平寺に行った。曹洞宗の大本山だ。
 私の実家は曹洞宗で、通っていた保育園の園長先生が、お寺の住職だった。坊主頭でにこにこした園長先生のことだけは、子どもながらにうっすら覚えている。
 園長先生も、寺の行事などで父に会う度に、「お嬢は元気か」と気にかけてくれていたそうだ。「お嬢」は、私のことだ。
 その「園長先生」が、偉い人だったと知ったのは、ずいぶんあとになってからだ。
 園長先生の名は、大田大穣といい、永平寺の監院という役職に就いていた。長崎で被爆した大田大穣氏は、核廃絶の平和運動にも参加され、ドキュメンタリー映画「GATE」に出演している。「GATE」は、日本の原爆の火を、僧侶たちが原爆が生まれたアメリカのニューメキシコのトリニティーサイトまで、サンフランシスコから2500キロを歩いて火を戻し、負の連鎖を断ち切ろうと祈りの旅をする者たちの記録映画だ。
 その僧侶たちの先頭に立ち歩いたのが、大田大譲氏、私にとっては温厚で優しい「園長先生」だった。2008年に、「GATE」が公開されたが、この映画を見るまで、園長先生が長崎で被爆したことも、このような平和運動をされていることも、全く知らなかった。
 大田大譲氏は、数年前に亡くなった。

 小説家になる少し前に、永平寺で三泊四日の参禅体験をしたことがある。40代が近づき、仕事も私生活も不安定で、これからどうしていいのかと先が見えない頃だった。お寺は好きで、仕事抜きでもよく行ってはいたが、腰を落ち着けて仏様のいる場所に行くと、何か未来が見えるかもしれないという期待もあった。
 全国各地、様々な寺が修行体験を実施しているが、永平寺の参禅体験が一番厳しく、実際に雲水(曹洞宗の修行僧のこと)に近いことができると聞いていたので、申し込んだ。値段的にも安い。
 受付をして、部屋に案内される。男女別の相部屋で、まず化粧を落とすように指示され、作務衣に着替え、財布と携帯電話を預ける。4日間、財布にも携帯電話にもさわれない。つまり外部と遮断される。私語は禁止、廊下や階段を歩くのにも作法がある。毎朝四時に起きて掃除をし、座禅をする。夏は起床時間は3時半だ。夜の9時には就寝。何より厳しかったのは食事の作法だ。食器の使い方、順序、洗い方、何から何まで決まりがある。雲水さんたちと同じ食事で、汁、ご飯、そして煮物の質素な精進料理だが、食前の儀式があるので、手をつけられる頃には冷めている。
 途中で耐えきれなくなって帰った人たちもいた。自由時間など全くない。けれど、普段、観光客では入れない場所まで見学することができたり、お坊さんたちの話を聞くのは楽しかった。そして何より、座禅の時間が気持ちよかった。薄暗い場所で、何も考えず、何も望まず、ただ座っている。この時間が、段々と待ち遠しくなっていた。
 参禅体験が終わり、えちぜん鉄道を経由して福井駅に着くと、福井名物ソースカツ丼を頼んだ。久しぶりの肉と、染みたソースが美味かった。4日間、修行したぐらいじゃ煩悩が消え去って、人が変わるはずもない。私は京都に帰り、今までの生活に戻った。
 ひとつ永平寺で印象に残ったのは、修行中の雲水さんたちが、見事に美形で肌が美しい人揃いだったことだ。私だけがそう思っているのではなく、同じ部屋に泊まっていた女性たちも、そう言っていた。仕事柄、いろんな寺に行ってはいるが、あんなに美形が多かった寺は、他に見たことがない。修行の厳しさと関係があるのだろうか。

 その参禅体験以来の、永平寺だった。編集者たちは、ここも初めてだという。永平寺も参拝客が多かった。私がいた頃は、冬だったので、訪れる人も少なかったのかもしれない。久しぶりの永平寺は、記憶よりも小さいような気がした。軽く座禅をできる場所もあり、久々に足を組んで目をつぶる。
 ときどき、また永平寺に籠りたいなと考えるときもあるけれど、今の自分の状況では4日間外部と連絡がとれない状態は仕事に支障が出てしまう。だからこそ、小説家になる前に行っておいてよかった

 参拝を済ませたあと、永平寺の裏にある滝を見たり、そのそばにある鐘を、編集者たちが嬉しそうに突いて写真をとっていた。
「なんで、鐘つくの? しかもすごい楽しそうだし」というと、「だって、こんな機会ないじゃないですか」と返された。
 そうか、私は京都に住んで、お寺に行く機会も多いし、鐘などいつでも突こうと思ったら突けるけど、東京に住み出版社で働く人たちは、確かに鐘を突くことなど普段ないよなと気づいた。

 越前の国については、まだまだ書きたいことがあるので、「その2」へ、続きます。

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