2011年1月21日号。<支那の主席の権力基盤を揺るがしたかもしれない一言。記者とはこういう人種のことを言う>。

 2011年1月21日号。<支那の主席の権力基盤を揺るがしたかもしれない一言。記者とはこういう人種のことを言う>。  4時起床。高松。  窓の外が一瞬にして白くなった。昨日昼ごろ久しぶりに新幹線で西に向かっていた時だ。名古屋を過ぎてしばらく走ると一面の雪。関が原あたりの雪はいつものことだが、今年はとりわけ深い。日本海側の方々のご苦労がしのばれるのである。  いったん京都まで行って車で滋賀県の栗東市へと戻る。講演会場へと向かう途中、対向車線に長い渋滞を見て、私の中で警報が鳴った。これ、本能的に身についたもので、だからいままで危ない場所で生き延びてきたのである。「帰り別の道にしような」とマネジャーのT-1君に言う。彼がいるのは栗東市の講演のためではない。そのあと高松市へ行く事がわかっているので、そこに旨いものとキャバクラがあると察知しているのである。いきなり高松だけに出現するといくら何でもマズ

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