2008年9月23日号。<無能、放言、無責任な大臣や次官の一方で新聞に全面告知を打った『薩摩宝山』蔵元の心意気よ>。
2008年9月23日号。<無能、放言、無責任な大臣や次官の一方で新聞に全面告知を打った『薩摩宝山』蔵元の心意気よ>。 4時半起床。 突然襲いかかってくる試練は、ひとや組織の底力や本当の倫理観というものをあぶり出す。 役人がオノレの目線で「事故米」と呼んでいた毒米を、しばらくはそのままの名称で垂れ流していたことで、いかに利権談合共産主義記者クラブが奴らと同じ土俵に立っているかがバレた大マスコミだが、ようやくせめて「汚染米」と言うようになった。 もっともこれも不十分であって、食わされる方から見れば「毒米」以外の何物でもない。 その毒米の流通が露見した時のさまざまな当事者の振舞いを振り返ってみると、人間としての品性が露骨に出ていて面白い。 結果としてこいつらがそのポジションを追われたことは、日本人の中にまだしも自浄能力が残っていたということだろう。 <太田農相辞任:課題山積も業務