おはようございます。ヨロンです。
昨日は、複数回の茨城県地震の中で、私のSNSのタイムラインは、武装集団に襲われて亡くなった中村哲氏へのお悔やみのコメントで溢れていました。
私は直接の接点はありませんでしたが、活動を通じて交流のある友人が多く、その悲しみが見えるようでした。
中村さんこそ「戦争を知り、平和を語る」人でした。アフガンに自衛隊が入ることを拒否し、飲める水、農業を育める水を作り出すことで、多くの人の命を救おうとしていた。
憲法9条を守るべきだという主張もしていたので、こんなときこそ勝谷さんはどんなコメントをするのだろう、と気になりました。中村医師こそ「国士」であると絶賛するのか、それとも左巻き活動家としてこき下ろすのか。
2008年8月29日の日記に記述がありました。ログインせずに読めるようにしたので、読んでみてください。少し長いのですが、引用も付けておきます。
2008年8月29日号。<人気とりで五輪のメダリストへの国民栄誉賞と騒いだ首相よ、平和のために斃れた民間の戦士にはどう酬いるのだ>。
https://katsuyamasahiko.jp/2008/08/29/11246/
<中村さんという方の考え方は、妄想的平和主義に眠っているほとんどの日本人と違い実に合理的であり、こんなことを書くとご本人には叱られそうだが、ある意味で今の日本社会から消えている、軍隊的なシビアさを持ち合わせていると私は見てきたのだ。
軍事で大切なのは楽観でも悲観でもなく客観だ。私が常々、軍事を知らずして平和を語るな、というのはそういうことだ。
戦争を心から憎みながらも、ペシャワール会というところは平和のための戦士を養成してきたのではないか。「誰もいかない場所に行く」といえるためには、それに相応しい訓練が必要だ。中村さんたちはそした平和のための戦士を作り上げ、だからこそ安全に絶対の自信を持っていたのだと思った。>
実際に戦場で命をかけて活動している人は、勝谷さんから見ると「戦士」なんですね。油の乗っていた時期の文章でもあり、説得力のある勝谷節が見られます。中村さんは、ぬるま湯で批判ばかりしている右も左も黙らせてしまう「丸腰の戦士」でした。
この続きはこちら。
2008年8月31日号。<矢野喚問を阻止し法華デブを守るために有権者の意志を踏みにじる公明党の行為をなぜ大マスコミはもっと報じないのか>。
https://katsuyamasahiko.jp/2008/08/31/11250/
タイトルが良いですねえ。改めて、この日記は時代のアーカイブの役割もあったのだということを実感させられます。それにしても、緒方貞子さんが亡くなったのが10月。中村さんは活動中の殉職と言えますが、身一つで国際貢献をしていたふたりの偉人が相次いで亡くなってしまったことは遺憾に堪えません。
昨日、病院で診てもらってきました。とにかく今も喉が張り付くように痛くて、咳は少々。昨日はほぼ平熱だったのですが、今朝は少し熱っぽさを感じます。鼻水も相変わらず垂れ流し状態。
処方されたのは
トラネキサム酸:炎症を抑える
カルボシステイン:痰を出しやすくする
メジコン:咳を鎮める
ロラタジン:アレルギーを抑える
風邪+アレルギーといったところでしょうか。なんとか土曜日までに治さないと。
と言いつつ、今日は大学の講義のあとに、19時から久しぶりの「秘密の選挙サロン」を行います。
ゆく政治、くる政治 2019秘密の選挙会議 忘年会
https://www.facebook.com/RadioVoiceJapan/posts/551556462076282
れいわ?N国?進次郎?喜四郎??
2019年を気鋭フリーランス・ジャーナリストと振りかえる
ゲスト:
畠山理仁(フリーランスライター)
常井健一(ノンフィクションライター)
レギュラーメンバー:
逢坂巌(政治学者)MC
木村敬(総務省職員)コメンテーター
松田馨(選挙プランナー)コメンテーター
高橋茂(ポリティカル・コーディネーター)配信担当
FacebookLive
https://www.facebook.com/RadioVoiceJapan/posts/551556462076282
YouTubeLive
https://www.youtube.com/watch?v=TI8IZPKQXqc
おなじみの木村敬さんの肩書が、本人の希望で「総務省職員」になっています。今回は著書『黙殺』が開高健賞を取った畠山理仁氏と『小泉純一郎独白』『保守の肖像 自民党総裁60年史』『決断のとき』など、小泉家の取材では右に出る者がいない常井健一氏を迎えて、今年の選挙を振り返るとともに、現在の政治情勢についても話し合います。話題が多すぎて、1時間では収まらないかもしれない。
私は配信に専念します。まだネット環境が直っていないので、どうなるか。
今日の水島先生のコラムは、勝谷さんの思いを綴ったものとなっています。選挙が終わってから、お世話になった方々にお礼すること無く、現実から逃げ回っている勝谷さんに「水島先生にだけは直接会ってお礼を言わなくちゃ駄目だよ」と言っていたのですが、叶いませんでした。その悔しさはありますが、死後もこうして繋がっていられるというのは、それはそれで勝谷の遺産と言えるのかもしれません。
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一芸百芸 ~一専多能の勝谷さんを見たかった~
水島二圭(書家)
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