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4時起床。
ひとの脳というものは、なぜ記憶の大切さをはかって、より重いものを優先的に保存するのだろう。
3月11日がまた巡ってきた。毎年、その時のことを「同じように」書いているが、そうして「同じように」書き続けることで記憶をさらに人々の間で上書きしていくことも、モノ書きの仕事のひとつだと思っている。
今年も振り返る。午後2時46分。私は大阪の読売テレビの楽屋にいた。ゆらり、と揺れた。地学屋の私はP波とS波の差をはかって「これは遠い。遠いのにこれだけ揺れるというのは、現地はえらいことになっている」とすぐにわかった。「テレビつけて」と周囲に叫んだ。外を見ると局の前の寝屋川が波立ち、オフィスビルから人々が飛び出して道路に出ていた。怖かったのだと思う。だがまさか東北だとは考えなかった。福島県沖で起きた地震が大阪でそれほどの揺れを惹起するというのは、素人地学屋の想像を超えている。それが起きたのだ。まさに大震災だった。
「地質学的年代」という言葉がある。地球はさまざまな栄誉と傷をその身体に残している。そのことを読み取るのが地学屋の仕事なのだが、自分がそうした出来事に遭遇することは人生のなかでまずない。東日本大震災に「現役」で出会ったというのは希有なことで、地学屋としてはちょっと嬉しいのだが、まさかそんなことは口にはできない。あくまでも素人学者としてそうであったというだけだ。今日もさまざまな場所で慰霊が行われている。私も朝、起きてまずは東に向けて黙祷をした。ひとびとの安らかならんことを。
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