2014年5月19日号。<魁傑関を悼む。風塵のように「解決」を出して去ったまさに「怪傑」であった>。
2014年5月19日号。<魁傑関を悼む。風塵のように「解決」を出して去ったまさに「怪傑」であった>。 2時半起床。 夜明け前の街に出ると栗の花の匂いが地の底を這っている。初夏は何か淫蕩な季節である。 早稲田大学文芸専攻には『蒼生』という機関誌があり、これに載るのが作家を目指す子供たちの最初の夢。次に『早稲田文学』に掲載されば大騒ぎだ。その中の何人かひとりがプロの作家になる。甲子園に出てプロ野球選手になるよりも、確率は低かっただろう。 2年生の時、つまり専攻に進んで最初の年に、亡くなられた恩師・平岡篤頼先生は私の作品を『蒼生』に採られた。周囲は仰天したが、私はその意味がまだよくわかっていなかった。次には『早稲田文学』にも掲載されることになる。私が作家らしかったのはそこまでですね。早く燃え尽きた花火(笑)。このあたりのことはそれこそ今や大作家の小川洋子さんがエッセイで書いていておられて