2012年7月1日号。<大マスコミが報じず、私もカヴァーしきれていなかった不明を恥じるこの国の「新しい空気」について>。

 2012年7月1日号。<大マスコミが報じず、私もカヴァーしきれていなかった不明を恥じるこの国の「新しい空気」について>。  3時起床。長崎市。  福島原発のあの事故から日本人の「同胞が受けた痛みに対する反応」がかわってきたように思われる。これまでは必ずイデオロギーが伴っていた。と同時に、利権談合共産主義社会の中で、抑え込む力学が出来上がっていた。  もっと別の大きな力が動くようになって、ひととしての自然なまなざしになってきたような感触がある。それが当たり前なのだが、この国をおおってきたある種の「イデオロギーに頼った、先の戦争への贖罪」からようやく、あれだけの事故を経て解放されてきたような感触が。  日本という国は、二つの原子力による悲劇をこえてようやく、かわるのだろうか。  このあたり、長崎という特別な地にあって、何か打たれたように考えたのである。これはひょっとしてとても大きな考察への入

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