2010年7月18日号。<豪雨で何人亡くなっただけではなく「どうすればいいのか」の新たな発想がなぜこうも政治とメディアから出てこないのか>。
2010年7月18日号。<豪雨で何人亡くなっただけではなく「どうすればいいのか」の新たな発想がなぜこうも政治とメディアから出てこないのか>。 4時半起床。 梅雨が明けた。昨日、宿から読売テレビへ向かう車中で私はすぐにそう悟ったのである。大坂城公園あたりを走っていると、車の中でも蝉の声が降るようであった。今日もお送りする『天国のいちばん底』の少年たちが歩いている季節のように。 私は実はあまり夏が好きではないのだが、梅雨明けというのはひとつのカタルシスではある。スコーンと何かが抜けた感触がある。しかし、今年の梅雨明けはあまりに残酷だとも思うのである。 テレビは西日本を中心とした豪雨の被災地からの中継をしきりにしている。レポーターの背後では蝉しぐれがこちらでも降るようであり、もう何もなかったように夏の太陽が照りつけているのである。その中で行方不明者の捜索や、なにもかも失った人々が呆然と