2009年4月11日号。<金豚の花火に目をくらまされている間に同じ「別亜」の方々がなされていたこれだけのこと>。
2009年4月11日号。<金豚の花火に目をくらまされている間に同じ「別亜」の方々がなされていたこれだけのこと>。 4時起床。大阪。 ホテルの高層階の部屋から見下ろすと、桜が無残なほど咲いている。 ちょっとこういう「無残」の使い方をしてみたかった。「無残」とはもともと仏教用語で「放逸無残」のように使う。戒を破って省みないことであり、まあ私のような人間である(笑)。 この時期のもう花弁が落ち始めている桜に、私は無残の情を感じるのである。バブルの頂点を過ぎたところといってもいい。潔く散るなどというのは、散らせる側の勝手な感情だ。無残に、しかし華やかに散るのである。花は桜木、人は武士というならば、私はこの無残な散り方をこそ望みたい。 休日の朝早くから慮外者の無残ないいたい放題ですみません(笑)。 金豚が花火をぶっ放したせいで日本の大マスコミはそちらにばかり目を奪われているが、同じ大陸に