2009年3月16日号。<護衛艦ソマリア沖へいよいよ出動。「護る船」と「護らない船」を作ることの危うさについて>。
2009年3月16日号。<護衛艦ソマリア沖へいよいよ出動。「護る船」と「護らない船」を作ることの危うさについて>。 3時半起床。東京。 やはり一気に帰ってくるとなかなかな道のりだ。一昨日の午前中にイラクリオンを出て、アテネへ。2時間ほどの待ち合わせで、ローマへ飛ぶ。ここでわずか数十分という離れ業のトランジットで日本行きを捕まえて12時間のフライト。東欧からシベリア上空を飛び、日本海を横断したころに朝食が出た。 窓の外を見た私は息をのんだ。雲の上に真っ白な富士山が聳えていたのだ。ブロッケン現象といい、今回は窓から見えるものになかなか恵まれている。 大東亜戦争のさなか、「金甌無欠揺るぎなき」と愛国行進曲にも歌われたこの名峰に別れを告げて、わが軍の空の勇者たちはは南洋へと飛んでいった。と同時に、アメリカの爆撃機が日本本土の目印にしたのも、この富士山だった。 成田からの往きに積んできたの