■2004/07/28 (水) らもさんを愛した人々は泣く。今夜、すべてのバーで。

4時起床。中島らもさんが亡くなった。心身共に最低でちょっと近頃ないほどの鬱のところにこの報せはこたえる。http://www.asahi.com/obituaries/update/0727/002.html
実は私は生前のらもさんに会ったことがない。講談社などで「今みえていましたよ」などというすれ違いは奇妙に多かった。そして人生の歩みもいささか小説的に交差してきた。以前書いたかと思うがらもさんは尼崎の私と同じ町内の生まれである。しかもうちは内科小児科で彼の家は歯科のどちらも医院だった。灘中から灘高へ進んだのも同じならばそのころから彼はクスリに私は酒に溺れたのも一緒である。しかし似ているのはその後モノ書きとしてのスタートをコピーや雑文ではじめたところまでで、たちまちらもさんは仰ぎ見るような巨峰の小説を次々と発表する人となった。まだまだ実は私自身に引き比べて書きたいことはあるのだがちょっと痛すぎて書けない。惜別の念と同時に私自身の情けなさが今の心理状態では耐えがたい。らもさんは二度直木賞の候補となって逃した。あの生き方の表面だけを知っている人には意外かもしれないが彼はそのことをとても悔やんでいたと聞いている。会ったこともないにもかかわらず私はそのらもさんの気持がもっともわかるのは自分だといつからか思うようになっていた。「私たちのような育ち方をした人間はそう」なのだ。我ながら実に乱暴な言葉の投げ出し方であるし人によっては傲慢に聞こえるかもしれないがもはや言葉を綴ることのできないらもさんに代わって私はここに書き措くのである。その悔しさが酒や麻薬に向けられたという人もいたがだとすれば私はらもさんのために惜しむ。酒や麻薬は別にどうでもいい。そのことが希有な才能を夭折させたことを悔やむのである。らもさんが『ガダラの豚』を発表した歳を私はこえた。そして彼の享年まであと10年もない。そんな歳まで生きることがないという予感もある。そろそろ何が大切で何を捨てるべきなのかを考えるのではなく実行に移す時なのかもしれない。<夜空の花火はもう消えた/祭りは燃え尽きた/だから生まれ変わらないと/歩いて行かないと /太陽が照らす道を><うねりくる波にのるための勇気を僕に与えてくれ/行くあてのないほどに/つれぬ世の中だけど/頑張る君と生きた時代にバンザイ!>。サザンの『君こそスターだ』で泣いていたりするとミュージシャンらもさんに怒られるよね、きっと。

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