- <全国戦没者追悼式/天皇陛下、最後の参列に>
- <日韓くすぶる「歴史」の火種/韓国で「慰安婦の日」>
- <韓国の慰安婦像は建てっぱなし、管理不足に批判の声 中国メディア>
- <ウイグル100万人収容は「事実無根」、中国が否定>
4時起床。軽井沢。
妙義山の上に朝日が登るなか、素晴らしい風が入って来る。気温は20度を少し過ぎたか、いや24度くらいはあるか。昨夜は寒くて、布団にくるまって寝たものである。もちろん窓は閉めているのだが。妙義山の上には幾筋も横に長い雲があって、それが、下から順番に染まっていく。しばらくしてから太陽がやって来るのである。
糞パソコンのキーボードは相変わらず壊れていて、これは工場だしかなと危惧するのだが、時間をかければ、このように、なんとか打てている。これを直すためだけに、下界に降りるのは、むかつくというほかはない。軽井沢にもひとつ、バックアップを買っておくかなあ。ここでこそ、デスクトップがふさわしいし。
でも、それもやや違う気がするのだ。もともと、この自宅では小説以外は書かないつもりだった。雑文との、頭の切り換えをしたかった。でも、小説もろくに書いていないし。この秘密基地を本気でシステム化するなら、いまならできる。昔は高速度のラインも来ていなかったが、いまや「引きませんか」と向こうが言ってくる時代だ。
高速回線をひいているひとたちに聞くと、多くは動画を観ている。私はそんなもので動画などいまだかつて観たことはないし、ご存じのように、映画などは嫌いだ。テキストだけで生きているので、そんなに大きな容量はいらない。それよりも、キーボードが壊れずに、ちゃんと文章が毎朝かけるように祈るだけだ。なんで、こんなにダメなのかね。富士通。私は過剰な要求はしていない。ただ、タイプライターとしての能力を求めているだけだ。このレベルの商品が海外にも出ていると思うと、日本人として恥ずかしい。
8月15日である。いつのまにか今日は「慰霊の日」になっているが、私にとってはアメリカに膝を屈した「屈辱の日」にほかならない。300万人も殺されていて、なぜ国民の間から「次は仇をとるぜ」という風潮が出てこないのか、理解不能だ。海外を歩き回っていると、多くの国は、欧州を中心に「次こそ勝ってやる」と言う。パブやバルで呑んでいるとビールジョッキ片手のドイツ人から「次はイタリア抜きでやろうぜ」と言われる。イタリア可哀相だが、あのヘタレであったのを見ると仕方がない。
欧州は、ずっと戦争にあけくれていた場所だ。だから「次こそは必ず」と思うのだろう。そさに比べて、大日本帝国は乾坤一擲のいくさをして負けてしまった。その前の、世界中が、日本など負けるだろうと考えていた、日清、日露に勝っていただけに、帝国国民の8月15日の衝撃は大きかったと思う。もちろん、それくらいの自信がなけければ「一億火の玉だ」はできなかったわけだが。
多くの作家たちが残したものを見ると、ほとんどが開戦について「ホッとした」というような感想を残している。作家は空気に敏感だ。つまるところ、そこまでにかなりの閉塞感があったのだろう。今日という日について、意外なことに書いているひとは少ない。開戦のときの興奮を、作家としてどうまとめるのか。これは苦渋であったに違いない。
近頃、陛下に関して何についても「最後の」ということが頭につくのが嫌で。
<全国戦没者追悼式/天皇陛下、最後の参列に>
https://mainichi.jp/articles/20180815/k00/00m/040/063000c
<終戦から73年となる15日、政府主催の全国戦没者追悼式が東京都千代田区の日本武道館で開かれる。全国の遺族に加え、天皇、皇后両陛下、安倍晋三首相ら計約7000人の参列が予定される。来年4月に退位される天皇陛下は、最後の参列となる。
日中戦争と第二次世界大戦で犠牲となった軍人・軍属や民間人ら約310万人を悼み、平和への誓いを新たにする。厚生労働省によると、参列予定の遺族は5466人。うち戦没者の妻は13人、子は2864人。戦後生まれは過去最多の1554人で、世代交代が進む。15日は41都道府県で関連行事があり、計約3万7000人が参列する見通し。
追悼式は正午前に始まり、正午の時報を合図に参列者全員で黙とう。その後、天皇陛下がおことばを述べる。>
天皇陛下はこれからも、宮中で祈りを捧げられるのである。私たちの前で献花などをされるのが、今回で最後なのであって、失礼なことを書くものではない。だが、いささかの感慨はある。これで、皇室の「戦争を知っている」世代が、戦没者と向き合う時代は終わったのだ。皇太子殿下は、私と同い年なので、私たちが戦争について考え、かたり継いでいくことになる。
正直に言うと、自信がない。この戦争おたくの私がそうなので、同世代のどれほどの人々が、戦争について知っているか。はなはだ、こころもとない。そもそも、戦争そのものに興味がないのではないか。いや、私の世代は、まだ戦争の残滓が空気の中にあった。危惧するのは、もっと若い人々である。
「戦争教育」をしろと私はずっと番組などでも言ってきた。「戦争を知らずして、平和は語れない」からだ。だが左巻きのひとたちは「どうしてそんな危険なことを言うのよ~~」などと、反発された。いまのフレーズは、もちろんあの女史の口調でね。
いまいる軽井沢の自宅は本の天国だが、そのかなりの部分は、戦記だ。戦国時代のものもあれば、大東亜戦争のものもある。私はいつも、そこから何冊かを引き出しては読んでいるのである。そのためにここにいると言ってもいい。さまざまな番組で「どうして、そんなに詳しいんですか」と軍事評論家のみならず、現場におられた人々にも驚かれるが、研究ではなく、好きでおたくをやっているから、などとは、バラさない。
大マスコミがどこも書かないので、8月15日の今日、私は「戦記ものをもっと読もう」とここでアピールする。戦記ものは、基礎となる知識がないと難しい。だから、総合的な勉強になる。夏休みこそ、戦記物を読み込んで、一発すばらしい感想文を宿題で出していただきたい。もちろん「平和のために」とかのど腐れではなく「こうすれば、帝国陸海軍は勝てた」というタイトルで。
ちなみに、拙宅にある膨大な戦記物から取り出して、何度目かではあるが、私がいま読んでいるのは高木俊朗先生の『ルソン戦記』だ。
https://bookmeter.com/books/263830
高木さんの戦記には、いつも泥濘の中を無理やり進軍あるいは敗退している姿がある。おそらく皇軍の実態というものは、そうなのであったに違いない。乾いて涼しいこの地にあって、まことに申し訳ない気持ちで読むのである。ましてや8月15日となると。
相手が弱くなったところを叩く、というのは、支那朝鮮人の民族性だ。日本人がいちばん「ごめんなさい、ごめんなさい」と言っているのは今日、8月15日である。だから、いくさというものは負けてはいけないのだ。慰安婦というのは、戦争とは何も関係がなくて、それに「従軍」という名を冠した吉田某という売国奴に、たちまち朝日新聞が乗っかって、従軍慰安婦なるものが出現した。
ずっと書いてきたように、兵隊さんは忙しくて、そんな売春婦を連れて歩く余裕はない。行くところ、行くところ、支那朝鮮人が大喜びで売春婦を用意しているのだから、そんな必要はなかった。
それでも、売春婦問題をわめきたければ、それはそれでいいと私は思うのだが、15日にむけて、あちらのメディアなどがいろいろと書いてきたのには笑った。
<日韓くすぶる「歴史」の火種/韓国で「慰安婦の日」>
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO3414286014082018EA2000/
<韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領は14日、政府が定めた初の「慰安婦の日」の行事に出席した。文氏は日本への直接的な批判は控えつつも、従軍慰安婦問題の最終的かつ不可逆的な解決をうたった2015年の日韓合意に否定的な立場を表明。国内の求心力維持に「歴史カード」を使い続ける姿勢を改めて鮮明にした。日本政府は同日、日韓合意の着実な履行を申し入れた。>
国として「売春婦の日」を作るという神経は、日本人には理解できないなあ。<従軍慰安婦問題の最終的かつ不可逆的な解決をうたった2015年の日韓合意に否定的な立場を表明。>これって、大統領が、国家間の了解事項を否定するということだ。外交ルールではありえない。「仕方ないよね、朝鮮だもの」と国際社会は思うだろう。それでも、このタイミングで出して来るのは笑った。
子供のころ、火事でも事故でも、何かひどいめにあったら、朝鮮人には気をつけろ、と親に教わってきた。弱気になると、かならず付け入ってくると。この時期、別に卑屈になることはないのだが、日本人はやや内省的な気持ちになる。そこのあの方々は来る。 同盟国でもないのに「もっとちゃんとシバかんかい」と介入してくる支那にも、笑うほかはない。
<韓国の慰安婦像は建てっぱなし、管理不足に批判の声 中国メディア>
http://news.livedoor.com/article/detail/15158279/
<中国メディアの環球網は、韓国に設置されている慰安婦像について「管理不足に批判の声が上がっている」と報じた。
記事はまず、「韓国で2011年に慰安婦問題を象徴する少女像がソウルの日本大使館前に設置されて以降、少女像は韓国各地にとどまらず世界に進出した。日韓両国は少女像をめぐり外交衝突を繰り返し、日本政府は駐韓大使を一時帰国させることまでした。韓国国内に建てられた少女像は現在102体に至る。だが韓国社会に戦争が残した傷を忘れてはいけないと気付かせる少女像の管理は満足できるものではなく、鋭利な物で顔を傷つけられた少女像さえある」とした。
その上で14日付の韓国・聯合ニュースの報道を引用。韓国の市民団体、正義記憶連帯によると、市民の自発的な募金で建てられた少女像は通常、地域別に発足した建立推進委員会が除幕から維持・管理まですべて担当する。だが除幕式以降はボランティア形式で運営されるため維持・管理の限界が浮き彫りになっていると報じた。>
そりゃね韓国はあれでも、民主主義国家なので、人民が毎朝管理したりはできないのだが。支那が気にしているのだなあ、というのが興味深かった。
数はどうかとしても、支那がやっているのは間違いない。ウイグルの闘争者たちとは、いつも連絡をとっている。
<ウイグル100万人収容は「事実無根」、中国が否定>
https://www.cnn.co.jp/world/35124005.html
<国連人種差別撤廃委員会の会合に出席した中国政府代表は13日、新疆ウイグル自治区に住む少数民族ウイグル族100万人を当局が施設に収容しているとする主張を「事実無根」と強く否定した。
会合ではイスラム教を信仰する少数民族ウイグルに対する中国政府の扱いについて聞き取りが行われた。このなかでドイツに拠点を置く亡命組織「世界ウイグル会議(WUC)」は、2018年7月の時点で少なくとも100万人のウイグル族が、政治的な教化を行う施設に収容されているとの見解を示した。>
WUCを率いる、ラビア・カーディル議長とは、前からその実数について聞いていたので、ほぼ間違いないと思う。国際社会がこのひとたちを、どう解放するのか。私はまず、「偵察部隊」の派遣があってもいいと考える。実態を国際社会に示すために。