2020年1月9日号。<一芸百芸 〜古文書を読み解く愉しみ〜:水島二圭>

 おはようございます。ヨロンです。

 本日19時から、今年最初の『新・血気酒会』をお送りします。
 内容は、新年の挨拶と企画会議になると思います。
 相変わらず、事務所のネット環境が不安定なのですが、今回からライブ配信は「収録のようすをライブで流す」という形になるため、もし配信中にトラブルがあったとしても、見やすくしたものを後日YouTubeにアップします。

「血気酒会は情報番組として生まれ変わるのか…というタイトルの新年会」
日時:2020年1月9日19:00〜

FacebookLive
https://www.facebook.com/katsuyamasahiko/posts/2652585068129603

YouTubeLive
https://www.youtube.com/watch?v=VlfcKGeibQw

 トラブルと言うと、昨日は「メールが届かない」という連絡が5件ありました。いつもは2日に1件ほどなのですが、珍しく多かったです。
 確認すると、エラーにはなっていないのですが、再送分も届きません。1件だけパソコンのメールソフトには入って来ずに、プロバイダの迷惑メールで振り分けられていたという報告がありました。プロバイダはBIGLOBEやNiftyが多かったようです。
 以前から、メールが届かないという報告は毎日ありました。いろいろなケースがあり、リンク先がひっかかる例が多く、文章中に放送禁止用語のようなものが入っていても届かないことがあります。意識して書いているので、最近は少なくなっているはずですが、昨日は多かったので報告させていただきました。昨日、メールの再送分も届かなかった方には、リンクを外したものをこのあとお送りするので、そこでもう一度確認してください。

 もう一つトラブルの件。『カツブロ』というブログサービスを覚えているでしょうか。
https://katsu.blog/
『××な日々。』読者向けのブログサービスで、勝谷さんの死後もサービスは続けています。現在は、毎日更新している常連さんが3人。たまに更新される方が2人ほど。
 最近のSSL化の流れの中で、以前からこのサービスもSSL化しようと検討していました。SSL化というのは、簡単に言うとURLが httpから httpsに変わることです。ホームページのデータがネット上を流れるときに暗号化されるので、セキュリティが強化されます。
 今後はすべてのサイトのSSL化が求められて、対応していないとURLのバーのところに「安全でない接続です」などというメッセージが出てくるので、私が関与するサイトはすべてSSL対応にしています。

 カツブロは特別な仕組みを使っているために、一般のものと少し勝手が異なり、昨日やっとSSL化を行ったのですが、一部古いデザインテーマを使っているブログで、デザインの更新をする必要があったので行ったところ、「Popular Posts」という「よく見られている記事一覧」のデータが消えてしまいました。ここに影響が出るのは想定外だったので、大変申し訳無いことをしてしまいました。お詫びします。

 ゴーン氏の会見は、逃亡劇についての言及はなく、日産と日本の司法への恨みつらみに終止しました。参加が許された日本のメディアは、テレビ東京・朝日新聞・小学館(週刊ポスト)の3社のみ。
 他のメディアは、ライブ中継を見るしか無かったのですが、現地のメディアや記者から記事をもらったところは、さすがに突っ込んだ分析も行っていました。
<単なるショーだった「逃亡ゴーン会見」の舞台裏 関係者が拍手する政治集会のような雰囲気>
https://toyokeizai.net/articles/-/323789
<フランスメディアの反応はおおよそ肯定的だ。筆者が話した記者のほとんどが、ゴーン氏のショーマンとしてのパフォーマンスに感心していた。しかし、当初からこの事件を追っているジャーナリストたちは不満げだった。結局、何一つ目新しいことが語られなかったからだ。「レバノン政府に迷惑はかけられない」として、陰謀を企てた日本の政府関係者の名前を挙げることもなかった。>

 特にめぼしい進展がなく、ゴーン氏の不満がぶちまけられただけという結果でしたが、私はいまだにゴーン氏が日本語で話せないことに違和感を持ちました。会場で話されたのは英語、フランス語、アラビア語、ポルトガル語の4ヶ国語。ほとんど日本のメディアが排除された中では仕方ないとは言え、日本企業のトップを何年も務めた人物が、日本語を話せないことにすべてが現れているのではないかと感じたのです。
 彼にとっては、その国のことばも覚える気がない場所で、犯罪の容疑者として軟禁されているのが耐えられなかったのでしょう。

 それにしても日本は舐められたものだと思っていたところ、見覚えのある名前を発見しました。
 さすがに宮嶋茂樹さんは面白いなあ。
<【直球&曲球】宮嶋茂樹 ゴーン被告に逃げられた日本は甘いのう>
https://www.sankei.com/column/news/200109/clm2001090004-n1.html
<もういっかいゴーン被告を日本へ連れ戻すくらいの気概はないんか?
 安倍晋三首相に、そんな根性、あるかないか、ワシは知らんけどな。>

 いや、根性云々ではなく、安倍さんはそれどころではないでしょう。この記者会見場でもアメリカ人記者がソワソワしていたように、イランとアメリカが一触即発状態の中で、ゴーン氏に関しては法務省に丸投げ状態のはず。アメリカvsイランに関して、日本の立場としては「憂慮する」というコメントで終わるわけがなく、自衛隊の中東派遣も含めて、かなり難しい舵取りが求められます。この件については、明日にでも。

 

水島先生の今日のコラムは、機種依存文字がかなりあるのと、画像も多いので、画像はウェブの方に掲載します。ログイン無しで読めるようにするので、そちらをご覧ください。

古文書は全く読めないので、羨ましく感じます。

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一芸百芸  〜古文書を読み解く愉しみ〜

水島二圭(書家)

「家にある掛軸の字を読んで欲しい」とか「古文書を訳して欲しい」などという相談を受けることがあります。
 先日も、私が書を教えているご婦人が「紹介されて食べに行った蕎麦屋さんの名前が読めない」ということで、その名前が印刷されている箸袋を持って来られました。
 私が住んでいる所沢の東部地区の松郷というところにある老舗の蕎麦屋さんで、私の住まいは西部ですので、私は存じ上げておりませんでした。
 店名は「甚五郎」というのですが、その看板に書いてある「五」の字が、どう見ても五には見えない、というのです。
 箸置きにもその文字が使われており、そこでそのご婦人は箸置きを持って来られたという次第です。
 ネットで調べたところ、お店の看板の写真が載っておりました。

甚五郎

 確かにこれは一般の方には「五」には見えないと思います。
「じんだいろう」と読んでしまうかもしれません。
 しかし、ある程度本格的に書を学んだ人ならば、これは「五」だと分かるはずです。
 書を学んだ方でなくとも、漢数字の五を「アルファベットのZに点を打つ書き方」をご存知だと思いますが、それを変形させていくと、この看板のような「五」になるのです。

 分かりやすいように書いてみましたので、ご覧ください。

「五」のくずし方

 いかがでしょうか。
 この最後の形が「甚五郎」店の看板に使われているのです。

 書道の先生だから行書や草書といった所謂「崩し字」も簡単に読めるだろう、と思う方もいらっしゃると思いますが、古文書にはいわば「速記の記号」のようなものがあり、書道の知識を越えたものがあります。
 例えば「御座丶」の丶は「候」と読みます。
これは、前に「御座」とあるから「候」だとわかる訳で、「丶」だけを示されても何のことかわかりません。
 先程挙げた「甚五郎」の「五」も、五の崩し方を知っているだけでなく、前後に「甚」と「郎」があることで人名であることが推測され、五であると容易に判断できるわけです。
 つまり、古文書を読み解くためには単に字体・字形を知っているだけではなく、その古文書が書かれた時代背景や地名や官職名など、広範な知識がなければ解読できないということになります。
「筆文字を扱う」という点では同じですが、書家と古文書学者は「書く人」と「読む人」という違いがある訳です。

 私も折に触れて古文書の資料を眺めたりするのですが、三行半(みくだりはん)と呼ばれる「離縁状」ー3行半の長さに納まるように書かれているのでそう呼ばれます―などを見ていますと、いろいろ考えさせられることがあります。
 
 先程、ネットで検索してみましたら、こんな離縁状が載っていました。

 横に活字で読みが書いてありますが読み取りにくいようですので、改めて書き出してみます。
離別一札之事
一、其方事 我等妻ニ致来候処、
不叶気愛致離別候、以来 何方ヘ
縁談取結候とも差構不申候、為念
一札差遣候処、如件
    天保六未年
    十月日    比企郡青山村
           九兵衛    
おふさどの

「其」「我」「等」「愛」などは楷書からは想像できないような草書体で書かれていますが、大半の文字は読めると思いますので、文意は汲み取れるのではないでしょうか。

 文中「気愛叶わず、離別致し候」というのは、今で言えば「性格の不一致で離婚する」ということでしょうが、185年前、今の埼玉県小川町に住む九兵衛とおふさ夫婦は一体どんな事情があって別れることになったのでしょう。

 文字通り気が合わなかったのかもしれませんが、ひょっとすると、それは表向きの理由で、ふたりの間に子供ができなかったことが本当の理由だったのかもしれません。
 九兵衛はおふさを深く愛していて、子供ができないおふさを不憫に思い、おふさが再婚しやすいように「気愛叶わず」と書いたのかもしれません。
 たった3行半に認められた離縁状は、毛筆という、手間がかかる上に心理状態が表れやすい筆記用具で書かれているだけに時を超えていろいろなことを思い巡らせてくれます。

 毛筆で書かれた古文書と言わずとも、手書きの文書には書き手の思いが込められています。
 皆様のお手元に明治や大正生まれのご祖父様なりご祖母様なりのお手紙がありましたら、今一度ひもといてみてはいかがでしょうか。
 その文字から伝わってくる思いに静かに心を寄せてみるのも、ご先祖様への善き供養になるのではないかと思うのです。

一作献上 「 寒椿 小さく赤き 一重なる 」 原 石鼎

寒椿 小さく赤き 一重なる  原石鼎

冬に咲く花には凛とした強さを感じます。
そして、生きる勇気を与えられるような気がします。

           

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