2008年11月9日号。<来日中のダライ・ラマ14世猊下が、聖火を拒否したあの善光寺の義僧たちにお言葉をくださったことを報告する>。
2008年11月9日号。<来日中のダライ・ラマ14世猊下が、聖火を拒否したあの善光寺の義僧たちにお言葉をくださったことを報告する>。 5時起床。 思い出して欲しい。 あの、長野市での聖火リレーがあった時のことを。 支那人どもに乱暴狼藉の限りを尽くされ、日本国司法当局は奴らを捕まえることなく、同胞や亡命チベット人2世のタシィ・ツゥリンさんを逮捕したあげく長期間にわたって拘留し続けたことを。 しかし、日本国の良民常民は、決定的な部分でチベットの人々を弾圧し虐殺し続ける支那独裁政権に対して、日本人の意気地はここにありという、大和魂を見せることができた。 それは、支那が画策したように、聖火の出発地点を善光寺にできなかったことだ。 最近この日記を読んでいただくようになり、ご縁が出来たばかりのあなたや、あなたに改めて解説するならば、当初は世界にその名が知れるということで聖火の受けいれを