2019年8月23日号。<打の履正社 優勝おめでとう/横浜市のIR誘致は所詮カネ/「検収」という面倒な慣習>

 おはようございます。ヨロンです。

 実は、1年前の昨日、2018年8月22日から、私の代筆が始まったのでした。「1年間お疲れさまでした」というメールもいただきました。ありがとうございます。

 勝谷さんがひとりで書く日記の最後となったのが8月21日。この日に入院し、即ICUに放り込まれました。この日の日記をログインしなくても読めるようにしました。冒頭の目次のようなものは、迂闊屋がサイトに掲載するときにつけたものです。

2018年8月21日号。<金足農の言動には、つい見入ってしまう>。
https://katsuyamasahiko.jp/2018/08/21/5844/

 そして、翌日から私の早起き生活が始まりました。これもそのまま読めるようにしておきました。

2018年8月22日号。<勝谷誠彦入院す。初の休筆、申し訳ありません>
https://katsuyamasahiko.jp/2018/08/22/5846/

 このときのことは昨日のように覚えています。入院前日の20日夜、T-1君から電話がありました。
「勝谷さんが明日入院することになって、今 にじゅうまる にいるんですが、来れませんか」
 気乗りしないままにじゅうまるに行くと、いつものカウンターに勝谷さんとT-1君が座っていました。勝谷さんはいつものようにひじきの煮物とれんこんのおひたし。わさびの乗った鳥のささみとご飯もあったかな。
 おもむろに薬を10錠ほど取り出し、日本酒で飲み始めたので、
「おいおい、そこに水があるだろう。なんで酒で薬飲むんだよ」と言うと、
「いや、良いんだよ。飲むのが大事だから、酒で飲んでも良いって友宏が言ってた」と。
「そんなわけねーだろ」と突っ込むも、ごくんと飲んでしまいました。

 顔は黄疸で真っ黄色でしたが、それまで何度も病院に行くように言ってきて、やっと行かれることになったので、私もT-1君も少し安心していました。
 にじゅうまるが地下にあり、外の通りに出るまで階段を20段ほど上るのですが、このときは上れず、後ろから背中を押しました。考えてみたら、彼に触れたのはこれが最初で最後だったかもしれない。

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