2018年8月22日号。<勝谷誠彦入院す。初の休筆、申し訳ありません>

 『勝谷誠彦の××な日々。』発行人の「ヨロン」こと、高橋茂です。いつもご購読ありがとうございます。

 

 昨日、勝谷は病院にて診察を受け、入院となりました。本来であれば病室内にて経過報告を含めた日記の執筆を行うところですが、集中治療室に入っているため、執筆が物理的に無理となっております。病名や診断結果に関しては、私がいい加減な内容で報告することは控えます。本人からのご報告をお待ち下さい。

 

 まずは、本日10時までに本人が執筆できなかったことについて、皆様にお詫び申し上げます。大変申し訳ありませんでした。

 

 1999年に「さるさる日記」にて始まった当日記は、2007年元旦からメール配信となりました。そして本日まで、一日も欠かすことはありませんでした。ウツになったおよそ半年間、文章の内容は酷いときもありましたが、意識がフラフラになりながらもメールを送り続けました。一番悔しい思いをしているのは、勝谷本人かもしれません。

 

 毎日、このメールを楽しみにしている皆様に、ご心配をおかけして本当に申し訳なく思います。おそらく、本日は秋田の金足農の大健闘を最初に取り上げたことでしょう。決勝戦では気持ちの良いほどの大敗をしてしまいましたが、その清々しい戦い方は全国に感動を与えました。その金足農に対して全力で戦って全く手を抜くこともなかった大阪桐蔭のスポーツマンシップについても、「私はこのことばが嫌いなのだが」とわざわざ前置きをしてから取り上げたと思います。朝日新聞に掲載されたエピソードを取り上げて、独特な見方で解説をしたかもしれません。

 

 ぜひ、金足農のような粘り強さで、一日も早く病床からの復活をしてもらいたいと願っています。

 

 二ヶ月ほど前からの『血気酒会』での風貌や、先日の軽井沢での腹が出た映像を見て、心配のメールをたくさんいただきました。テレビに出なくなったあたりから髪も髭も伸び、それに比例するかのように元気が無くなっていきました。実は、海軍酒場での血気酒会の頃には、すでに軽い鬱状態となっていたのですが、本人が外に出て読者の方々と話し触れ合うことが大事だと考えて、T-1君と企画を進めました。
 先日の『血気酒会@軽井沢』も一度は延期としたのですが、突然「やる」と言い出したために、良い機会だと考えて無理な日程を強行しました。「行きたいのに、こんな時期じゃ行かれない」という苦情もいただきましたが、あのタイミングでしか実行できなかったことをご理解いただければ幸いです。

 

 『血気酒会』のイベントを行うと少し元気になるのですが、それ以外で外に出る用事がないときは、家に閉じこもって新聞や本を読みながら酒を飲んでしまう日が続いたため、なんとか新しいことを始めたり、外に出たりするように考えていましたが、肉体的・精神的に弱る方が早かったようです。みなさまからも、様々なご提案をいただきましたが、なかなか実行に移すことができず、残念です。

 

 先日の『血気酒会』で勝谷さんと一緒にいたとき、黄疸がかなり目立つっていたため、「これは大変なことになっている」と感じ、弟の友宏さんにお願いして、大阪に行ったタイミングでまず直接診てもらい、専門医を紹介していただき、それこそ首に縄をつけてでも連れて行こうということになりました。その時点で、食べるものはおろか酒を飲むこともできなくなってきていて、歩くのも辛そうで、T-1君が重い荷物を担いでいても、足腰の弱った老人のようにしか歩けない状況でした。
 友宏さんも大変心配して、「おそらくそのまま入院することになると思うが、医者の言うことをよく聞いていれば必ず良くなる」と励ましてくださいました。勝谷さんも、自分の体調が尋常ではないことを意識していて、気力の衰えもあって、いつもであれば「入院なんかしない」と駄々をこねるであろうところ、素直に診察を受けました。

 

 明日からの日記は、今のところ未定です。長期に及ぶことは無いと思いますし、今日の夕方ぐらいからあっさり復活するかもしれませんが、本人が書き始めるまでは、私かT-1君から現状報告いたします。
 復活してからも、しばらくは「病室日記」のようなものになると思われますが、それはそれで貴重であり、元気になっていく様を見ていただけるものと期待しています。

 

 それまでは、ご心配をおかけすることも多々あると思いますが、ご理解のほどお願い申し上げる次第です。

 

 本日は、まことに申し訳ありませんでした。