2019年7月8日号。<~はじまり~ 1974年秋:高野登>

 おはようございます。ヨロンです。

 なかなかパッとしない天候が続きますね。休日に、外出の予定もなく家にいるのであれば雨も良いものですが、選挙を戦っている皆さんは大変です。
 郵政選挙のときに、亀井静香さんが雨の中ずぶ濡れになりながら街頭演説する姿がテレビで流れ、それが大逆転のきっかけになったと言われていましたが、私はマイクが壊れるんじゃないかと、そればかり気になっていました。選挙カーに設置するスピーカーは防水仕様にしますが、防水仕様になっていないマイクは、雨が侵入すると一発で使えなくなります。

 参院選は知事選と並んで17日間と最も長い選挙期間となっていますが、それは全県となるために選挙区が最も広いからです。比例区は全国ですが、たいていは支持組織があるので、重点地区を何点か決めてそこをまわります。
 今週末に「中盤情勢」としてメディアが情勢を発表しますが、業界でも注目しているサイトがこれです。
「三春充希(はる) ☆2019参院選情勢情報部」
ここの、7日時点での情勢一覧がこちら。
「第25回参院選 情勢報道集約(7月7日)」
https://note.mu/miraisyakai/n/n055944669cb9

 選挙区の全候補者の現時点での情勢を、毎日、朝日、共同の順に並べています。
 ここで、赤い「安定」「優位」などとなっていところは、当選がほぼ確定と言える状況で、黄色や薄い青は接戦なのでまだわからない。濃い青や黒の「記述なし」というとなっている候補者は、残念ながら当選の可能性はほぼありません。気になる選挙区を見てみましょう。
 これを見ると、大阪は4枠目を維新、立憲、共産で。兵庫は3枠目を公明と立憲で激しく競っていることがわかります。

 これが一週間でどのように変化して、最後の一週間でどうなるのか。大勢は大きく変わらないとしても、数箇所でドラマが生まれるのが選挙の醍醐味だと他人事のように今は言っておきます。

 さて、元リッツ・カールトン・ホテル日本支社長で、「寺子屋百年塾」を全国に展開している高野登さんのコラム第2弾です。
 前回はいきなり、アメリカのリッツカールトンで受けたホスピタリティの話だったので、「高野さんがVIPだから、このようなサービスを受けられたのではないか」と感じた方もいたようですが、基本的にリッツカールトンでは世界中どこでも、このようなサービスが行われます。
 もちろんマニュアルもありますが、常にホテルのスタッフが「お客様のために何をしたらベストなのか」を考え、自らの裁量で判断を下して、それを他部署と共有・連携して行動できるようになっています。
 そのため、ルームサービスの担当者であっても、日本円にして約20万円が自由に使える権利があるのです。大阪のベッドメイクのスタッフが、お客様が今日使う資料が忘れられているのを発見し、それを持って自らが新幹線に乗って届けたという話は有名で、高野さんの著書にもあります。詳しくは、高野さんの著書をご覧ください

 そのようなホスピタリティに関するヒントも知りたいところですが、今日は高校を出てからホテルスクール一期生としてアメリカに渡り、世界的なホテルで修行を積んだ高野さんの、駆け出しのころのエピソードを書いていただきました。
 さて、続きはどうなるのか。今こうして活躍しているということは、無事ではあったのでしょうけれど。早く読みたくなります。

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 皆さん、こんにちは。初回は一気にアメリカ時代を飛び越えて、ボクの父親の事故死に絡んで、アメリカ人の仲間の心模様をお話ししました。今日は1974年にニューヨークに渡り、暮らし始めたころの話を書いてみようと思います。あまりおもてなしそのものには関連していないかも知れませんが、現地の人たちとの機知を感じて頂けたら嬉しく思います。少し長いので、「です、ます」調ではなく、「だ、である」調でまとめます。ご興味がありましたら、読んでみてください。

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「~はじまり~ 1974年秋」

高野登(人とホスピタリティ研究所 代表)

 マンハッタンの南、ローワーマンハッタン地区、サードアヴェニュー(3番街)と13丁目の角に、ボクのアパートはあった。イーストビレッジ地区は、今でこそ芸術家たちのアトリエや画廊が密集していたり、グルメを相手にする高級レストランが開業したりと、脚光を浴びる場所となっているが、僕が住んでいた70年代は、イースト・ハーレム(東のハーレム)などと呼ばれて、普通の市民はあまり近づかない場所だった。

 あたりには落書きだらけの崩れそうなアパート、銀行口座を開けられない貧困層のための「あなたの給与小切手を現金化します」の看板を掲げている店、外まで消毒液臭がぷんぷんするポルノショップ、見るからにあやしげな質屋、などが並んでいた。売春婦などがたむろしているバーも何軒かあった。“アンダーグラウンド(以下アングラ)”というバーもそのひとつ。僕のアパートから歩いて5分ほど。その名の通りアングラな雰囲気を漂わせて、薄暗い裏通りの半地下に沈んだ格好で営業していた。

 なぜ僕がこんな場所にアパートを借りることになったのか。それは、ニューヨークに着いて間もないころのこと。友達になったメキシコ人のルイスから、『マンハッタンでアパートを借りるならウェストサイドは危ないから避けたほうがいい。イーストサイドのほうが安全だし、日本からの駐在員もいっぱい住んでいる。』と聞いていたからだ。それでイーストサイドのアパートを端からみて歩いた。確かにみんなきれいで快適そうなのだけれど、とにかく家賃が高くて払えない。それでもめげずに、休みの日には安そうなアパートを探し続けた。

 そしてある日、とうとう見つけた。白壁の小さな5階建てのアパート。その最上階のスタジオルーム(1Kマンションの造り)。エレベーターはなかったが、地下鉄の駅から歩いて7分と好立地(だと思った)。アパートのオーナーの奥さんが、一階で裁縫の店をやっていたのもいい感じだった。ちょっと気になったのは、アパートの玄関のドアにカギ穴が3つあったことと、部屋のドアの鍵もやはり3つあったことくらい。なんといっても家賃がほかに比べて圧倒的に安かったのが魅力だった。その場ですぐに契約した。期間は一年。家賃4カ月分を小切手で前払いした。日本から持っていった全財産の半分だった。

 数日後に、イーストサイドがいいよと教えてくれた、メキシコ人のルイスに報告すると、彼は腰を抜かさんばかりに驚いて、声をはりあげた。
「なんてこった!お前、ちゃんと人の話を聞いていたのか。確かにイーストサイドは安全とは言ったけど、それは23丁目までのことだ。23丁目から下には行くなと言っただろう!3番街と13丁目とは!正気の沙汰じゃない。あの辺は東のハーレムって呼ばれているんだせ。しかもお前は日本人だ。金持ちだって思われている。殺されちまうぞ。もちろん俺達メキシカンは平気さ。でも俺だってあの辺には近づかないね。家族にだって行かせない。危ないからな。よく聞くんだ。お前の身のためだ。前払いした家賃は勉強代だと思ってあきらめろ。高い勉強代だったな。さあ、すぐにもっと安全な場所を探せ。すぐにだ。今度は俺が一緒についていってやる。いいな?」

「ローワー・イーストサイド」は危ないなんて言われたっけ・・?なんでその部分だけを聴き漏らしたのか、不思議だった。今思えば、やつの英語も相当にブロークンだったが、あの頃のボクの英語力だって危なっかしいものだった。日本人の常で、話すのは苦手でも聴くのは何とかなる、大丈夫だとタカをくくっていたのだが、やはり、やっちまったらしい。

 それにしても、4か月分もの家賃を捨てろだなんて、冗談じゃない。そう簡単にあきらめきれるわけがない。だいいち貯金だって全然無いし、もし次のアパートが見つかっても、契約金や前金が払えやしない。安全が大事なのは判るけど、その時は4か月分の前金を失う方が辛かった(これを若気の至りというのだろう)。それに、契約をたてにとって残りの8カ月分も払えといわれたりしたらそれこそ大変だ。よし、こうなったら腹をくくるしかない。一年間、ここに住んでやろうじゃないか。怖いといっても、所詮は同じ人間同士じゃないか。まさかそう簡単に殺されるわけでもあるまい・・。

こうして、勘違いだらけの、僕のニューヨーク生活が始まったのである。

(つづく)

高野登プロフィール(Amazon著者プロフィール)
1953年、長野県戸隠生まれ。ホテルスクール卒業後、ニューヨークに渡りホテル業界に就職。82年、念願のNYプラザホテルに勤務後、LAボナベン チャー、SFフェアモントホテルなどでマネジメントも経験。90年にリッツ・カールトンでサンフランシスコをはじめ、マリナ・デル・レイ、ハンティント ン、シドニーなどの開業をサポートし、同時に日本支社を立ち上げる。93年にホノルルオフィスを開設した後、翌94年、日本支社長として日本に戻る。リッ ツ・カールトンの日本における営業・マーケティング活動をしながら、97年にザ・リッツ・カールトン大阪、2007年にザ・リッツ・カールトン東京の開業 をサポートした

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