3時起床。尼崎市の自宅。
めでたき平成の御代がまたひとつ年を重ねたことを心からお祝い申し上げる。
屠蘇酒を片手にこれを書いている。え?いつもだって?そんなことは蟻塚。何を言っているのであろうか。ありません、と書きたかったのだがもう指がおかしい。まあ堂々とそうだと書けるのが元旦が良き日であるということだ。酒は「玉乃光純米吟醸」。朝酒は(をいをい)できるだけシャンパーニュかスパークリング、せめて白ワインにしているのだが、元旦だから。「玉乃光」はいい酒。とはいえ日本酒の原稿で食っている身としては、ちょっと「へえっ」と面白い酒にしたかったのだが、尼崎で手に入るのはこれがなんとかやっと。
世はそろそろおせちなどをテーブルに並べ始めるのだろが、私にもちゃあんとある。地元のテイクアウトお好み焼き屋として、ここでしばしば書いてきたので、なんと遠隔地から買いに来るひともいるようになった「さがら」の焼きそばだ。大晦日の昼に買いに行った。やきそば1人前、お好み焼き2人前を頼むと「ええね。ご家族でこちらに来てはるん?」「いえ、ひとりです」というと、何十年のつきあいのおかみさんが黙ってしまった。察しているくせに。正月2日まで食えるように買って、すべてで1200円。テレビでは各局が「何万円のおせち」とか言っているが、ご存じのように、私はいつもそんなもん。。
将来、私のささやかな資産はどうなるのであろうか、とふと考えた。なぜこんな貧乏性に育ってしまったのであろうか。なぜおね~ちゃんもいないのであろうか。「さりげなく本人の性格の問題を潜り込ませるなよ」その通りだ。
さきほどレンジで温めたので部屋中に焼きそばの匂いが漂っている。窓からは初日の出の曙光があかあかと見えはじめた。
いい元旦だ。
何しろひとり年末年始なので、紅白歌合戦なんかを観てしまった。昔から世の中が囃すれのが嫌いなひねくれたガキだったので、ほぼ観たことがない。そもそも両親がそういう性格で「あれは下の連中が観るものが」と平気で4歳5歳の息子に言うものだから、それはそう思うだろう。「歌謡曲などというのは、知能指数が低い連中が聴くんだ」と言っていた。ではクラシックやジャズに造詣があるかといえばそうでもなく、ピアノ教室に通わせた息子はこのザマだ。
昨夜観ようと思ったのは、桑田佳祐さんがライブ会場から飛び込みで中継介入してくると聞いていたからだ。ぞこでそれがあるのか言わないNHKはずるいが、戦略としてはよくわかる。だから冒頭から観た。紅白を最初から観るなんて人生ではじめてのことだ。
勉強になった。「なるほど、いまの日本はこういうことになっているのか」と。よくこういう事情を知らずにコラムニストとかほざいて書いているなと言われると、その通りとしか弁明できない。へえ。である。来ている観客や合間にはさまるアトラクションもひとつひとつが面白かった。へえ、今の日本国はこうなっているんだ、と。
たいしたものだと感じた。NHKの実力である。いちおう映像を仕事のひとつとしているので「視点」がわかる。どえらくカネがかかっているのがわかる。ここでクレーンを使うのか、など。よく「生まれかわればやりたい仕事は?」とかいうくだらない質問に「プロ野球の監督」が定番だが「紅白のチーフプロデューサー」というガキがいれば、私は拍手をするだろう。
みんな歌がうまくなりましたね。テキトーに酔っぱらって観ているおっさんに言われたくないだろうけれども。昔、ときどき観た時はひどかった。本気で観ていないので、逆に「ハッ」となるのだ。絶対音感の私は四分の一音が外れても、気持ちが悪くある。そんなのは当たり前で「本当にプロかよ」という歌手がたくさんいた。紅白ばかりは生放送なので誤魔化しようがないのである。
それが今年はピタッと。何人かは最初のフレーズで少し外したがそれは緊張というものだろう。いい国だなあと感じた。1年の終わりにこれだけのアーチストが真剣に演じるというのは、国家としての文化の熟成であり蓄積である。気がつけば「いいなあ」などと独り言をテレビに向かって呟いている。それも大声である。もし私が福祉関係の職員だったら「そろそろ診てもらったら」と思うに違いない。
「うまい!」と膝を叩いたのは松田聖子さんであった。この人はデビューの時から天才だと思いつつ、写真雑誌の記者としてははかの部分で叩きまくっていたが、私の耳はずっと惚れていた。このひとも絶対音感なのではないだろうか。まったくブレがない。「あとから教えられた」歌手は気の毒なほど、旋律にあわせようとするが、ついていけていない。聖子さんは最初の一節から耳で把握をしている。
あまり音楽に興味がない私だが、記者であったころ仕事で仕方なくそういう取材をしたことがある。興味がないくせに絶対音感という宿痾をもっているので、さまざまな音源を聴くといろいろと感じるところがあった。私がやっていた仕事は「昭和を振り返る」的なものが多かったので聞いたのはレコードだ。まだCDどころかカセットテープもどうだったかという時代。
圧倒的であったのは美空ひばりさんだった。ちょっと思い出して下さい。あの方は最初の一節からまったく外していない。多くの歌手は最初は若干外して、すぐに修正するのである。このひとは違う「りんご追分」は前奏がほとんどない。まだ十数歳のひばりさんがいきなり歌いだすこういうシーンにはいつも鳥肌がたつ。化け物である。褒めているんだよ。
https://www.youtube.com/watch?v=S0KLu6lZ5Yw
ずっと記者としてさまざまな芸能人を見てきたが、こういうひとはいない。辛うじて山口百恵さんか。残念なことに私は百恵さんは引退したあとのことしか報じていない。ひばりさんは伝説として書いた。聖子さんは同時代だった。モノ書きとして同業者について「なかなか」とは思わないことにしている。けれども異業種である歌曲の世界においては「いいものを聴かせてもらったなあ」と考える。この歳になって、やっと紅白が面白くなってきた。
元旦であるのでこれからの1年を俯瞰してみるのもいいだろう。こういう時に私が頼りにするのは例年「天下の」朝日新聞だ。それも「日本一のコラム」であるらしい天声人語だ。私は日本一のコラムニストだと自負しているのだが、朝日新聞には規模と経済力で負けている。さて、元旦のそのコラム。
<3018年の日本は>
本紙にはタイトルはないのだが、ウェブでこれを見てどん引きした。しかも内容とまったくかかわりがない。10年後、20年後ならわかりますよ。だれが1000年後のことを予見できますか。そもそも朝日新聞がそこに存在するとは想像もできない。まあ、気持ちを落ち着けて読んで行こう。
<時代の向かう先を見通すためあえて時代をさかのぼってみたい。異なことを思い立ち、歴史年表を脇に本社ヘリに乗り込んだ。>
年頭恒例の「築地をどり」の所作である。とにかくいちばん偉い天声人語子は飛ぶものに乗り込むのだ。先年まではセスナだったのにヘリになったところが、マニアには面白い。超一流大学を出ておられる天声人語子が、ご自身の記憶ではなく「歴史年表を脇に」して乗り込むあたりが、築地をどりの所作としては、大向こうから声がかかるところであろう。ウェブですべてがわかるいま「歴史年表」といわれて何のことかと理解できる若い読者がどれほどいるのか。いいのである。いいのだ。こうやって、朝日新聞が滅びていくのが私と皆さんの楽しみなのだから。
<まずは千年前の平安京へ。〈此の世をば我世とぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思へば〉。権勢を誇る藤原道長がそう詠んだのは1018年。3人の娘を天皇に嫁がせ、威光の極まった年である。>
すばらしい。教科書でみんなが知っていることを「確認」するためにわざわざ築地から京都にヘリを飛ばせるのである。私から一首さしあげよう。「読者をば 金づると思う 朝日こそ 押し売り紙の 欠けたることなし」>。ちょっと字余り。でもちょっと自慢。やはり元旦にはひとつ詠まなくては。これが日本人の「ことだま」の基本のひとつである。読者のみなさんにおかれても、今日は家族でそれぞれひとつ詠んでみてはどうであろうか。恥ずかしがることはない。
あるいは万葉集を今日もあいている書店で買ってこられると、どれほど素人がおもしろいものを詠んでいるかがわかる。歌がプロのものになったのは、そいつらがカネにしたかったからである。この拙い日記でも、ときどきタイトルが歌になっているでしょう。下手くそな。そんなもんなんだよ。
かかる歌つながりで紹介するのは恐懼に耐えないが。天皇皇后両陛下元旦にお歌を披露されるという、こんな素晴らしい文化を持った国がどこにあるだろうか。
この国は「言霊」でおさめられてきた。もちろん力による闘いも絶えなかったが、そのつど事前の和歌によるやりとり、あるいは辞世の句が遺されている国など、まずない。もっとこのことを政府は子どもたちに教えるべきであって、もっとも大切にするべきは国語教育だ。不肖、私、こればかりはやらねばと、国語教員の免許を持っています。風俗ライターをやりながらとったのだ。教員免許の授業は必須だから、夜間のそれにファッションマッサージの取材の合間にかけつけた。タクシー待たせておいてね。あっ、陛下の話のつながりがこうなってしまっては、これまた万死に値するなあ。でも、みなさんにやはり唄っていただきたいので。勝手ながら、いくつもの御製の中から私が涙したものを。
天皇陛下
戦の日々人らはいかに過ごせしか思ひつつ訪ふベトナムの国
皇后陛下
「父の国」と日本を語る人ら住む遠きベトナムを訪ひ来たり
私はバッタ詩人としての自分の感性だけで2首をもったいなくもう選ばせてもらってここにコピペをしたのだが、ふたつともベトナムに行かれた時のものであったか。拙稿を読み続けておられる方々ならおわかりなのだろうが、なぜか私の中にはベトナムという「もっとも近い戦争」を戦ったひとたちのことがある。
天皇陛下の詠まれている「いくさ」は深い。アメリカとの戦争であると表面はまずそう見るだろうが、日本国が進駐した時のことまでが含まれていると私は理解したい。皇后陛下に至っては、これほどの愛国の歌はなかなかないだろう。陛下のご退位に向けて乾坤一擲の感触がある。民間から皇室に「飛びこ」まれた皇后陛下は、ずっとそういうおかたであった。「やらかしたなあ」という下卑た感想を私ならではで申し上げておきたい。
さて。こうべをあげて、今年もみんなで歩いて行こうではないか。世の中は「そうは悪くない」と私はいつも考えている。そして自分も「そうは悪くない」と。「そうは」の部分がいささか問題なのは自覚しているが、昨年あれほどの「大負け」を喫すると、もうすべてが愉しくて。会社でいえば倒産だろう。いえいえ私にはまだまだいろいろある。今年も一緒に朝鮮、間違いにもほどがあるだろう。挑戦しようぜ!