2017年12月31日号。<私は幸せな1年でした。みなさん、来年も良いお年を!>

  • 日記
  • <日露の相互理解に期待/プーチン氏が新年に向けた祝辞を安倍晋三首相に送付>
  • <退位時、最後の「おことば」/天皇陛下、19年4月末に/政府検討>
  • <「イージス・アショア」導入で、ロシアが軍事的対抗措置を示唆>

 

 3時起床。尼崎市の自宅。
 呆然としている。なにもすることがないのだ。年末年始というと実家へとにもかくにも戻るという帰巣本能があったのだが、来てみると居場所がまったくない。そこにいればとにかく落ち着けたわが医院兼実家は、考えてみれば弟が乗っ取…もとい、継いでくれているのである。だからそもそも居場所がなくて別に家を持ったのだが、無駄に広いそこに到着して、私は何をしているのかと思う、大晦日の夜明けであった。

 さまざまな意味でだが、今年を象徴するような今日であるかもしれない。ずっとロンリーウルフを気取ってきたが「何が狼ですか。狸でしょう。ロンリーラクーンですよ」仕事せえへんくせに突っ込みだけは今年も鋭かったねえ、マネジャーのT-1君。よう、狸がラクーンということは知っているな。そやけど来年はもう少し営業をとってこないと、二人とも西成の地下道で、お碗を前に置いて座ることになるよ。「ええやないですか。傷痍軍人の格好して」「いつの時代の戦争や」「もちろん従軍された湾岸戦争ですがな」。そんなもん、生きるか死ぬか。ミサイル来たら一瞬で死んでいる。テルアビヴにいる時は本当にそう思っていた。
 狂犬フセインがぶっ放すミサイルには何を積んでいるのかわからなかったのである。ひょっとすると核かもしれない。楽観しても生物化学兵器かもしれない。あれは痺れたなあ。写真家兼記者としては「飛んで来るミサイルと落ちた爆発現場を撮りたい」。かといって外に出るほどの勇気もなく、イラクに向けた窓を持つ部屋はとっていたので、その中からファインダーをのぞくが、怖かった。小銃弾が飛んでくるような戦争はとうに終わっているのだ。何が傷痍軍人だ。
 今年は「そして誰もいなくなった」年であった。だから象徴的だと書いたのだ。大晦日はなんとなくハレの場である。紅白歌合戦。昔は家族で炬燵を囲んで観ませんでしたか。異常家族であった私の実家でもそうであった。そして「ゴーン」と鐘どこぞの名刹からの鐘音の中継があって「じゃ、寝ようか」となったものだ。家から離れたあとも、紅白はずっと誰かとは観ていた。あれはなぜだったかなあ。青山の誰かのデザイン事務所で観た記憶もある。その時、たまたま横にいた娘(こ)とは、ちょっとつきあった。年の瀬にそんなこと聞きたくもないって?もっとも。もっとも。そろそろいろいろ言い遺したくなっているんだってば。

 2017年の私の「おもての活動」の総括としては、高橋「ヨロン」茂さんのいつものコラムが秀逸である。この日記の読者の方々のアドレスに別冊として送っているので、みなさんのところにも届いているでしょう。私に対する「苦言」がいい。うちのチームが精強無比なのは、ヨロンさんもマネジャーのT-1君も「苦言」を惜しまぬところだ。まあ、負けたけど。加えて、いかに自分がダメな奴なのかも熟知した。治す気はないし、治らないだろうが。以前も書いたと記憶するが、選挙事務所の幹部が立ち呑みでやらかしていると、目の前を私の名前を連呼する選挙カーが通りすぎていくのである。前代未聞であろう。申し訳なかったというほかはない。
 今年を総括する文章なので書いておくが、私は「本当は頭が悪いのに努力して成り上がる馬鹿」が子どものころから大嫌いだった。まだこんなことを書いていることそのものが万死に値するね。さきほど描写した光景は有権者に失礼であって、最大限のお詫びをしておく。ただ、根本に私のそういう哲学、というほどでもないか、があることは確かだ。  両親がまったく違うことを幼い私に吹き込んだ。父は、自分は苦学して医師になった、とずっと説教していた。「ひとつの県からひとりかふたりしか合格しない」陸軍経理学校にいて、それが終戦でパーになって、すぐに医者になれたというのは、文系なんか理系なんかという、今の私に通じる部分であって「地アタマ」(当時、そんな下品な言葉はなかったが)ええやん、と思っていたのだが。だが彼は「ひとは努力だ」と私を教育した。
 母は「勝負は一瞬よ」という人生ギャンブラーだった。小学校低学年の私に向かって「パパをつかまえたきっかけはね」と延々と語ったのである。あらゆるもので身を飾り、まことに華やかな人生を送ったので嬉しかっただろう。年端も行かぬ私に「一発勝負」を教え込んだ。洗脳されたボクチャンは灘中学の時だけ、それに成功した。そのあとは東大受験で破れ、とうとういい歳になって兵庫県知事選でまたやらかしたのである。ああ、何か、親に教えてもらったことを貫徹したという意味では、素晴らしい年であった気も(ふう)。
 幸せではあるが、いろいろと個人的には壊れている大晦日。今夜はサザンオールスターズが紅白の中にインサートで登場する。これをひとりでこのゴージャスなタワーマンションの床に座って観るのか。人生、どこかで間違っているぞ。ひとにとって何が幸せなのか、う~ん。私がサザンにはまったのは、あるおね~ちゃんが教えてくれたらだ。ふたりで日本中のツアーを追いかけた。なにもかも、みななつかしい。最近、こればかりで、すみません。
 ま、今年の大晦日は、ひとりサザンだな。泣いちゃうかも。

 比較的に穏やかな年ではなかったろうか。世界の穏やかさに至るはここ20年ほどの間に2段階があると私は考えている。ひとつは、東西冷戦のころの核事情が壊滅したことだ。「地球を破滅させる気かい」ということがようやくわかったのだろう。これ、その理解がなければ今ごろえらいことである。トランプ、プーチン、習近平ですぜ。みんなアタマがおかしい。おかしいが、おかしいだけに抑制力がある。ヤリチン(朝からごめんね)のヤンキーが「ここでヤルとつかまるわ」と本能的に感じるのと同じだ。
 そういう事情の上での「穏やかな年」というのは、私としては嘲うしかない。「次はどうするのかな」が楽しみだ。だから安倍晋三首相が存在感をますます国際社会で増しているわけだ。欧州の政治家やプレスとメールしていると「まともなのはアベしかいないんじゃない」と言って来る。いわゆる「バランサー」であって、それを支える国家機能を日本国を作らなくてはいけない。
 幸いなことに暗黒官庁と言われていた外務省がようやくここにきて機能しているように思われる。「目標」があれば彼ら彼女らは有能なのだ。ところが日本国は「目標」を政治家がきちんと作ることができずにここまで来た。いま、私が書いたように日本国のスタンスというものが出来つつある。日本外交の出番だ。
 いつものようにわかりやすく町内会にたとえると「極道」もしくは「極道くずれ」のおっさんらが「なんやおまえ」と言い合っているのである。そこにちょっとインテリだけれども、悪い世界も知らないではない安倍晋三という人が「まあまあ」と割って入る。これが本当のインテリだと「なんやおまえは」となる。ところが安倍さんは「自民党組」という半グレだが警察を抱き込んでいるのでつかまらないところのアタマだ(安倍さん、ごめんなさいね。褒める前のフリだ)。
 そうなると仲介役として「おまえ、話、わかるやないか」となる。日本が支那、ロシアとここまで話ができるようになるとは思ってもいなかった。
 安倍家には現首相の父上からの外交の系譜がある。人脈もある。支那は日本との関係がなければ立ち行かないので、問題はロシアである。北方領土のこともある。そのロシアと安倍さんはかなり深く関係を結ぼうとしている。「あちらからメッセージが来る」というのは、外交としてもうこれで勝利なのであると知ってほしい。
 <日露の相互理解に期待/プーチン氏が新年に向けた祝辞を安倍晋三首相に送付>
 http://www.sankei.com/world/news/171231/wor1712310006-n1.html
 <ロシアのプーチン大統領は新年に向けた祝辞を安倍晋三首相に送った。安倍氏が来年5月にロシアを訪問して文化交流年の開始式典を開くなど大規模な行事が予定されており、両国民間の信頼と相互理解が進むと期待感を示した。大統領府が30日に発表した。
 プーチン氏は今年3月の外務・防衛閣僚協議(2プラス2)の開催や政治対話と議員交流の拡大を挙げ、最近の日ロ関係が発展しているとも指摘した。>
 まことに興味深い。海外では本当の休みはクリスマスからはじまるが、最近は年末年始も外交などはほとんど動かない。その前にこれを出しておくというのは、ロシアらしい手法だ。ドナルド・トランプ大統領はおじいさんだからなのか、休暇はきっちりととって、あまり動きがない。その間に官僚たちはいろいろと考えるのだろう。「年明け」のそれぞれの反応が楽しみである。

 歳がおわる。その時にあわせてこういうニュースをリリースするのは、宮内庁のすぐれた勘であると感じる私は思いすぎか。
 <退位時、最後の「おことば」/天皇陛下、19年4月末に/政府検討>
 https://digital.asahi.com/articles/DA3S13297080.html
 見出しを見た瞬間、築地に今から行って朝日新聞本社に火をつけてやろうかと思った。嘘ですからね。思ったのは事実だけど。警察庁長官、吉田尚正くん、たのむね。ソフトの試合に来てくれればよかったのに。
 <天皇陛下の2019年4月30日の退位について、政府は同月末の退位の儀式で陛下が最後の「おことば」を述べる方向で検討に入った。象徴天皇として国民にメッセージを伝える最後の場となる。
 退位の儀式は、現行憲法下で初めて行われる。政府は陛下が三権の長らを前に最後のおことばを述べる儀式を4月30日か数日前に行いたい考えで、名称は「退位前朝見の儀」とする案が浮上。陛下がおことばを自ら読み上げ、それを受けて首相が「奉答文」と呼ばれる言葉を返す見通しだ。
 政府は4月30日に皇位のしるしとされる神器などを引き継ぐ「剣璽等承継(けんじとうしょうけい)の儀」も行う方針。陛下がおことばを述べる儀式とともに国事行為とし、おことばは閣議決定する方向で検討している。皇太子さまは翌5月1日に即位する。>
 たしかに「おことば」は今上陛下にたいして使われる用語である。だが、今の陛下はそのあと上皇になられる。上皇が言われることは「おことば」ではないのか。朝日はそう決めつけているのである。日本人としての私は、退位なされても、上皇陛下に対してはより深い敬意をもつと考える。であれば「おことば」でなくてはいけない。朝日新聞の、根本的な、皇室に対する敬意のなさというよりも、軽侮の神経を見た思いだ。

 「軍事を知らない」わが国の大マスコミはあまり気づいていないが、これはかなり大きなニュースである。
 <「イージス・アショア」導入で、ロシアが軍事的対抗措置を示唆>
 http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye3253421.html
 <ロシア外務省はリャプコフ外務次官のコメントを30日、発表し、日本が導入を閣議決定した地上配備型の迎撃ミサイル・システム「イージス・アショア」はアメリカが世界展開するミサイル防衛網に組み込まれているとして反発しています。>
 なぜどこも報じないのかわからないが、これで北方領土をロシアが返すということは、まずなくなった。この素早い反応は、軍事的に見れば当然のことだ。
 それではみなさん、良いお年を!