2015年5月26日号。<ドヤにしか泊まれない人々と空き家の処分に悩む人々とを結びつけるのが政治というものではないのか>

2015年5月26日号。<ドヤにしか泊まれない人々と空き家の処分に悩む人々とを結びつけるのが政治というものではないのか>。  4時起床。尼崎の実家。  自宅にいる自信がちょっとないので寄生している。昨夜は弟一家と近くの居酒屋…というのもショボい店に行ったが、ここの女将さんが作る「家庭料理」が旨いのだ。  実家の屋根にちょこんと乗る『シュレパパ』が私を真っ当な育ちの人々から隔離…もとい私のために建ててくれた「座敷牢」で目覚める。眼下に中庭があってヤマボウシの白い花を上から見るとまことに美しい。うちが幸せなのは目の前が公園であることだ。風がそこから渡ってきて窓を開け放った部屋を通り抜けていく。このあたり高層マンションである私自身の近くに持つ家とは違うところだ。近くに「一戸建てを作るか」などという建築オタクのDNAがムクムクと起きてくるのをなんとかおさえ込まねばならない。でも、終の住処は阪神間と

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