2011年6月28日号。<いにしえの都の空の下でどんなことかあってもやはりこの国は護らなくてはいけないと思う>。
2011年6月28日号。<いにしえの都の空の下でどんなことかあってもやはりこの国は護らなくてはいけないと思う>。 4時起床。京都市。 窓の外を見ると二条城がゆらゆらと揺れる湿度の底にうずくまっている。窓をあけなくともそのねっとりと肌にまとわりつく空気がよくわかるのである。 この美しい古都を眺めながらこんな感想もいかがかと思うが、昨日も街を歩いている時に、私の中には東南アジアのいくつかの感触が蘇っていた。タイで言えばチェンマイ、あるいはラオスのビエンチャン、インドネシアはバリのウブドゥ。 臨界まで高くなった湿度の中に緑の匂いが流れ込んでくる。その中に人々のいとなみの気配がする。 しかし最大の理由はそれではない。辻々に祖霊の気配があるのである。具体的には京都には小さな祠がそこここにある。タイやラオスやバリなどあまたの国々もそうだ。もちろん目に見えるのは祠であるが、おそらくはその背後