2011年3月24日号。<「仙台で食料危機」の時に姿を見せぬ首相。この国は国家として機能しているのか>。
2011年3月24日号。<「仙台で食料危機」の時に姿を見せぬ首相。この国は国家として機能しているのか>。 4時起床。大阪。 節電中の羽田空港は「美しかった」。ラウンジにいて英語の放送がかかると、どこか欧州の空港にいる錯覚に陥るのである。私たちがいかにアメリカに寄り添った過剰な電力消費をしていたかを、私は日々痛感しつつある。その過剰さが問題にならなかったのは、日本民族ならではの「つつましさ」があいまっていたからであって、アクセルとブレーキを同時に踏んでいたようなものなのだ。 今回の大災禍は私たちの価値観を根本的に変えるきっかけになるかも知れない。戦後、否応なく押しつけられた「新興国」としてのアメリカのそれから、成熟した老成国家が多い欧州のそれへと。本来の私たちの立ち位置は後者であるはずなのだから。 今日は13時過ぎごろから(正確には20分か30分ごろ)『こんちわコンちゃんお昼ですょ