2010年12月12日号。<初冬の京都の朝は氷菓子の匂いがする>。

 2010年12月12日号。<初冬の京都の朝は氷菓子の匂いがする>。  4時起床。京都。  ちょっと、京都に憑りつかれている。今年の日記をお読みの方は、京都に泊まると私が物狂いしていることがおわかりかと思う。なるほどある年齢にならないとわからない「良さ」というものはあるのだと思う。  小学生のころ、両親は毎週のように奈良や京都に私を連れて行った。寺社をたずね、美術館に行き、おいしいものを食べた。今でもひとつひとつが鮮やかに蘇るというのは、やはり対象がホンモノだったからだろう。  しかし私はその時間があまり好きではなかった。ちょうど今の私よりも少し若いくらいの両親が、なぜこんなに京都に心酔しているのかがわからなかった。  とりわけ嫌いだったのは「間の時間」である。車に乗って信号を待っていてもあたりを見て両親は会話し、楽しそうだった。子どもにはそれはわからない。重層的な歴史や文化に対する理解が

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