2010年11月25日号。<40年前のこの時刻、最後の原稿を女中に託して市ヶ谷へ向かった三島由紀夫先生について不肖の私は長崎で書くのである>。
2010年11月25日号。<40年前のこの時刻、最後の原稿を女中に託して市ヶ谷へ向かった三島由紀夫先生について不肖の私は長崎で書くのである>。 3時半起床。長崎市。 三島由紀夫さんが自決されてから今日でちょうど40年となる。 自決の半年前に発表された文章をここに掲げ、さまざまな思いをそれぞれの方々の中に喚起したい。朝鮮半島や尖閣諸島、北方領土、そして私たちの日々の中で起きていることを重ね合わせていただければ幸いである。 産経新聞70年7月7日夕刊『私の中の25年』より。 <私はこれからの日本の大して希望をつなぐことができない。このまま行ったら「日本」はなくなってしまうのではないかという感を日ましに深くする。日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的な大国が極東の一角に残るのであろう。それでもいいと思っている人た