2008年8月29日号。<人気とりで五輪のメダリストへの国民栄誉賞と騒いだ首相よ、平和のために斃れた民間の戦士にはどう酬いるのだ>。

 2008年8月29日号。<人気とりで五輪のメダリストへの国民栄誉賞と騒いだ首相よ、平和のために斃れた民間の戦士にはどう酬いるのだ>。

 4時起床。
 東海から首都圏にかけて大変な豪雨だった。
 <関東・東海で豪雨 浸水・土砂崩れ、境川では増水>
 http://www.asahi.com/national/update/0829/TKY200808290003.html
 <本州に停滞した前線の影響で、関東地方や東海地方は28日、大雨となった。北関東の各県では土砂崩れや住宅の浸水被害などが相次いだ。 >
 都心は被害らしい被害はないようだが、甚大だった地域にお住まいの読者の方がおられれば、心からお見舞い申し上げる。
 と同時に、これからもまだまだ降るらしいので、警戒を続けて欲しい。

 ほとんどの東京都民は戦争も戦場も知らないので、昨夜の豪雨と雷もその意味では水の被害だけ心配していればよかったのだろうが、私はほとんど眠れませんでした(泣)。
 やや遠いせいだろうか。雷の音は、ありゃどう聴いても重砲の砲撃音か、戦闘機のソニックビームだ。窓が時々ピカッと光るのなんて、映画の演出でやっているのかと思うほど、戦場のリアリティがある。
 ここは東京の都心で、今鳴っているのは雷だよ、と自分に言い聞かせてとろとろと眠りに落ちると、ただちに中東やアジアのどこぞのホテルで頭を抱えている夢を見る。それがまたリアルで、部屋の中で窓からいちばん遠いところにベッドを運ぼうとしたり、激しい音がするが窓ガラスが揺れないので「戦闘機じゃなくて爆発だ」などと、一緒にいる人物と話したり。
 その人物というのは帽子をかぶっていて、いかにも橋田信介師匠のようなのだが、近寄ってみると不肖だったりする。まあ、夢独特のデタラメですよね。
 突然場面がかわって、沙漠の中を走っていると後ろから来た車に幅寄せして止められ、AKを持った男たちに銃口を突きつけられる。こちらは明らかに、アフガニスタンで起きた悲劇と、自分自身のイラクでの体験がごっちゃになって夢に出ているのである。
 人は本当に怖い時には、どうも自力で目覚める機能が脳にあるらしく、撃たれる瞬間に目覚めて生きていることを確認するのである。するとまた、遠くから「ドッカーン」。
 でも、生きているのだな、と思う。そして伊藤和也さんも、こうやって目が覚めたら夢だった、ということならどれほどよかったかとも。

 それにしても、この国の風雨災害への対策は根本的な見直しを迫られているようだ。
 まだ堤防などが完備されていなかった伊勢湾台風や室戸台風のころならまだしも、近年では風雨による死者と言えば、増水した川に近づいて流されたり、土砂崩れによるものがほとんどだった。完全に水没することによって亡くなるというのは、つい先日あったように車に乗っていて、というくらいだ。それも消防や警察の怠慢のせいであったことが明らかになりつつある。
 ところが今回、その認識を改めなくてはいけないような被害者が出て、私はかなり驚いた。
 <豪雨の愛知県岡崎市で女性1人が死亡/屋根近くまで浸水>
 http://www.asahi.com/national/update/0829/NGY200808290002.html
 <岡崎署などによると、近くの住民から「お年寄りが住んでいるが、胸まで水が浸水している。早く救助してほしい」と119番通報があった。平屋の屋根近くの2メートルほどのところまで水位が上がり、消防の潜水部隊などが住宅内を探したところ、住宅内に遺体があるのを発見した。5時20分ごろに遺体を収容した。>
 普通に寝ている家が屋根近くまで水没して人が亡くなるなどということは、最近ではほとんどなかったのではないだろうか。そもそも、治水の進化によって屋根まで水につかるということが少なくなった。
 しかし、防災や治水の常識を覆す気象状況が起きはじめているようなのだ。
 <豪雨で37万人に避難勧告/愛知・岡崎、陸自派遣要請>
 http://www.asahi.com/national/update/0829/NGY200808290001.html
 <名古屋地方気象台によると、岡崎市美合町では午前2時までの1時間に146ミリの雨量を観測した。>
 146ミリと言えば、全国の年間降雨量の平均値の5月分とほぼ同じだ。1ヶ月分の雨が1時間に降ったのである。
 利権屋どもがダムなどを作りたがる時に「100年に一度の洪水」などをよく想定するが、1時間に146ミリなどという数字を出すと「そうまでしてダムを造りたい」かとさすがに袋叩きにあうだろう。土建寄生虫どもの想像をも絶することがこの国では起き始めているということだ。
 それはつまり、これまでの治水の考え方ではもう被害は防ぎきれないということでもあり、従来型のダムや堤防は無意味だという、土建寄生虫の皆様には気の毒な結論へと、国民的な論議と検討をしていかなくてはならないだろう。それも早急に。

 ところが今朝見渡したところでは大マスコミではどこもそういう視点で今回の豪雨を切っていないし、言及するコメンテイターもいない。せいぜい地球温暖化がどうこうという、全く検証されていない環境利権屋どもの言い分を、口移しに言うだけだ。
 『ムーブ!』では科学ライターの竹内薫さんがコメンテイターに入っていて、理系ならではの理性的で論理的なコメントをするが、東京の局で並んでいるのは文系の方々ばかりで、気象についてなど全くわからないのである。
 局側の報道姿勢も怠慢だ。気象史上に残る出来事といえる146ミリのリアルタイムの現場の映像をNHKが持っていないのには驚いた。とうに水が引いた現場に記者が立ち「このあたりまで水がきたようです」などと間抜けなレポートをしている。
 被害地の空撮もあったが、なんと愛知県の防災ヘリからの映像だ。
 むしろ民放の方が、洪水当時の映像があった。やはり地元局はあしもとのことだけに心配で、危険をおかしても現場へ行っているのである。そのうちまた異動があるだろうと思っているNHKの支局との根性の違いが出ている。
 局内に入り込んだ極左が従軍慰安婦に関してでっちあげの番組を作ろうとも、犯罪者を子会社で再雇用しようとも、まだ国民がNHKに受信料を払っているのはこうした風水害の時に身体を張った報道を期待しているからだ。それすらまともにできないのならば、地球環境のために(笑)無駄な電波を垂れ流すのはやめてしまえ。

 アフガニスタンで亡くなった伊藤和也さんの葬儀が、地元の人々の手によって現地で行われた。
 <殺害された伊藤さん、アフガンで葬儀>
 http://news.tbs.co.jp/20080828/newseye/tbs_newseye3935067.html
 <現地では葬儀が営まれ、地元スタッフや地元の長老、有力者などおよそ600人が参列しました。>
 ぜひ右側の動画をクリックして映像を見ていただきたい。
 ジャララバードに入ったペシャワール会の中村哲代表は、伊藤さんの遺体と面会した時、静かに右手を挙げて敬礼をしていることがわかるだろう。
 軍隊と一緒に復興に携わることをかたくなに拒否してきた中村さんだが、実のところ「自分たちは軍隊以上だ」と考えているのだろうと私は感じていた。
 中村さんという方の考え方は、妄想的平和主義に眠っているほとんどの日本人と違い実に合理的であり、こんなことを書くとご本人には叱られそうだが、ある意味で今の日本社会から消えている、軍隊的なシビアさを持ち合わせていると私は見てきたのだ。
 軍事で大切なのは楽観でも悲観でもなく客観だ。私が常々、軍事を知らずして平和を語るな、というのはそういうことだ。
 戦争を心から憎みながらも、ペシャワール会というところは平和のための戦士を養成してきたのではないか。「誰もいかない場所に行く」といえるためには、それに相応しい訓練が必要だ。中村さんたちはそした平和のための戦士を作り上げ、だからこそ安全に絶対の自信を持っていたのだと思った。
 しかし、いかなるオペレーションにも錯誤はある。今回は、その完璧な作戦が破られた。
 予想できなかった敗北に斃れた伊藤さんは、司令官たる中村さんにとって、麾下の勇敢なる兵士にほかならない。
 あの敬礼に、私はペシャワール会の精神と覚悟を見た。そして改めて尊敬の念を新たにした。
 常日頃言っているように、私は民間の援助機関が危険な場所に入る時に、自衛隊による警護を主張するものである。
 しかしペシャワール会に関しては、彼らが本当に必要ないと言うのであれば、好きにやってもらっていいのではないか。
 事務局長といい会長といい中村さんといい、出て来る人々の誰もに、今の日本人の顔から消えている「面魂」がある。
 まだこんな日本人が残っているのかと教えてくれたことでも、伊藤和也さんは私たちに大きな遺産を残してくれた。

 あのイラクで捕まった3馬鹿の家族は、今回の伊藤さんの父上の会見などを、どういう気持ちで見ているのだろうか。
 <伊藤さん殺害 家族、悲しみ深く/「まだ夢か幻のよう」>
 http://mainichi.jp/select/world/news/20080829ddm041040006000c.html
 <悲報を伝えた中村代表に対し、伊藤さんの父、正之さんは「息子は固い意志でアフガンへ行った。迷惑をかけてすいません」と逆に謝罪したという。>
 こうもおっしゃっている。
 <拉致された伊藤さんの父「和也は家族の誇り」>
 http://www.asahi.com/national/update/0828/TKY200808280182.html
 <「今は家族で静かに待っている。しっかり和也の遺体を迎えたい。和也は家族の誇りだと、胸を張って言えます」>
 心ある良民常民が、今回の一連の出来事から受けた感慨は、被害にあわれた伊藤家や、ペシャワール会の人々が考えておられるよりも実は大きいのではないか。
 それほど、日本人が失いかけているなにものかを、伊藤和也さんは身を挺して教えてくれたのではないか。
 それを誰よりもわかっておられるのがこの方々だ。私はこの短い記事を見た時に、自然に涙が出た。ありがたいことだと頭が下がった
 <両陛下、コンサート鑑賞取りやめ/アフガンの事件受け>
 http://www.asahi.com/national/update/0828/TKY200808280236.html
 <静養中の皇后さまは28日、群馬県草津町で音楽祭「第29回草津夏期国際音楽アカデミー&フェスティバル」に参加し、チェロやクラリネットの著名な音楽家と、ピアノでベートーベンのピアノ三重奏曲第4番「街の歌」2楽章を演奏した。>
 そして。
 <当初はその後に天皇陛下とともにコンサートを鑑賞予定だったが、宮内庁によると、アフガニスタンで死亡したペシャワール会の伊藤和也さんの悲報に心を痛め、急きょ取りやめた。>
 敢えて言うならば、日本人が国内外で殺されるということなど毎日のように起きている。それも、ひとりではなく複数が。
 しかし、伊藤和也さんというひとりの日本人のために、2600有余年の皇統を嗣がれ、日本国民の象徴であられるお二人は、身をもって弔意を示されたのだ。
 天皇陛下は時に背中で政府や社会をお叱りになると私はたびたび書いてきた。
 私は両陛下は、伊藤さんに対する弔意とともに、伊藤さんを守れず、救えなかった政府に対して、なにごとかをおっしゃりたいのだとも思う。
 永田町と霞ヶ関にいる無能な人々は、この両陛下のお振る舞いをどう受け取るのだろうか。
 伊藤和也さんの冥福を改めてお祈りする。と同時に、天皇皇后両陛下に国民のひとりとして、心から感謝申し上げる。

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