2007年3月5日号。<朝日新聞が社説で子捨て箱を容認したことをよく覚えておこう>。
2007年3月5日号。<朝日新聞が社説で子捨て箱を容認したことをよく覚えておこう>。 4時半起床。10時間ほど前に東京に戻ってきたかと思ったら、今から『スッキリ!』やって、またすぐに羽田から大阪だ。 昨日書きそびれたが、一昨日の尼崎での講演は、まさに私の地元の、町内会の主催だった。 『天国のいちばん底』には「北谷」(ちゃたん)先生として登場したが、私の灘校時代の恩師に、茶谷敬先生という方がおられる。灘では、国語の時間というのは、だいたい英語か数学の内職をする場だったのだが、そちらの方でまったくついていけない私としては、逆に唯一理解できて、マジメに授業を聞く時間だった。 茶谷先生は満州からの引き揚げ者で、中国語がお上手。漢文の時間に(そもそも今の学校にこんな時間があるのだろうか)李白や白居易の漢詩を、支那語で読んで下さった。原文が持つ詩のリズムというものを、教えてくれたのである。