追悼 勝谷誠彦 :葉月美稀

「勝谷さん。色んなところに行ったけど、貴方はずっと貴方でした」
葉月美稀

読者の方の中には10年以上購読している人も多いので、以下のメルマガをお持ちの方は、今一度読み直してから読んでくださると嬉しいです。

2008年1月18日号。<篠山市での「イノシシ食って委員会」現場中継報告。まだ続いています(笑)>。

この日のメルマガは勝谷さんが兵庫県篠山市(もうすぐ丹波篠山市になる予定)へ行ったときの話である。
その頃、私は日本テレビの『スッキリ!』という番組で勝谷さんと全国を飛び回っていた。

コーナー名は「勝谷誠彦責任編集 名物に美味いものあり」。
そもそもは「勝谷が行く!名物に美味いものあり」になるはずだった。だが私は勝谷さんにも局にも相談せず、勝手に「勝谷誠彦責任編集」と変えた。そうすることで、局の事なかれ主義に呑み込まれずに勝谷さんが好き勝手にできると考えたのだ。

勝谷さんは当時の日記に書いている。

<コーナーのテーマは「ご当地の裏メニュー」。ガイドブックに載っている、いかにもの名産ではなく、「本当に旨い名物」を食うというものだ。>

これは少し、間違っている。
このコーナーの本当のテーマは「毒舌イメージの強いカツヤの意外な面を見せる」ということだった。
つまり番組としては、勝谷さんが地方のテレビ映えするお店でカワイイ女の子とデレデレしながらご飯を食べるだけで良かったのである。

しかし、勝谷さんを納得させるには、その辺の「取材しやすい=取材慣れした」お店ではダメだった。
静岡の「富士宮やきそば」を取り上げた時、私は新幹線で富士宮まで赴き、有名なお店を数軒回って資料を作った。
勝谷さんはリサーチ資料を見ながら穏やかな笑みをたたえながら(私は密かにアルカイックスマイルだと思っていた)おっしゃった。
「こんな観光客用のお店を紹介するのは僕は違うと思う。ちゃんと富士宮やきそばの文化を学べるところ…例えば、駄菓子屋さんの軒先でやっているお店でないと。」
女子を前面に出し、ゆるーく仕事しそれが赦されて来た私に、勝谷さんは穏やかに、でもきっぱりとダメだしをするのだった。

ロケの時、勝谷さんは集合場所にいつも一番先についていた。
マネージャー(T-1さん以前)からは「ウチの勝谷を変なところに宿泊させないで下さい。ホテルはジュニアスイート以上の部屋を手配して下さい」と、言われていたが、勝谷さんに宿泊先を伝えると「そこ、ネット使える~?」と真っ先に聞くのだった。
県庁が高級ホテルを手配してくれたが、ネットが繋がらないという理由でビジネスホテルに変更になったこともあった。
そして必ず確認するのは朝早くから開いているコンビニの有無。
全てはこのメルマガのためであった。

一般的にタレントはロケバスの一番後ろの席に座るのが定石なのだが、勝谷さんは当たり前のようにロケバスの助手席に座っていた。
困惑するロケバスの運転手に、「ここに座るといろんな物が見えるんだよ…あっこんなところに神社が…美しいなあ…」と言いながら、いつも嬉しそうに写真を撮っていた。

グルメ番組というものは、料理の撮影がかなりのキモである。タレントのシーンが終わってから全て撮り直すため、かなり時間がかかる。
照明を作ったり料理を温め直したり、上に乗っているネギの角度を直したり…さらには「箸入れ(食べ物を箸などで持ち上げて撮影すること。主にADさんの役目)」もするので2~3時間はかかる。その為、タレントは立ち会わずにホテルに帰るのが普通である。
しかし、このコーナーでは勝谷さんが箸入れをやっていた。
「君らがお酒を飲ませてくれないから、ほら、手が震えてないでしょ…」と笑いながら美しい所作で箸入れをしてくれていた。

勝谷さんは上記のメルマガであたかも自分は被害者だと言わんばかりに書いているが、私は丹波篠山でイノシシ料理を紹介するにあたり、勝谷さんを納得させるには「イノシシ狩り」に勝谷さんを連れていくしかないと思っていた。

勝谷さんは晴れ男ならぬ「壮絶な天気男」であった。
ほとんどのロケは快晴だったが、季節外れの雪に見舞われた事も多かった。滅多に降らないと言われる鳥取砂丘に雪を積もらせ、「火星みたいだ」と笑っていた(火星に雪が積もるのかは知らない)。

その力は、丹波篠山でも発揮された。前夜、降り始めた初雪は、朝になると20センチほど積もっていた。その映像は最高に美しかった。

いよいよイノシシ狩りが始まった。

この日、突然の雪だったにもかかわらず、勝谷さんは万全の装備で現れた。それは出演者の安全を守る身としてはありがたい事なのだが、それをいちいち私たちに説明してくる。
山道を上りながら「この靴はチベットに行ったときに使った靴でね…」「この肌着は最新の防寒繊維を使ったもので…」と、1項目につき3回ぐらい自慢して来るのだ。

そんなさなか、銃声と猟犬の声が山に響き渡った。
「山の上だったね!」勝谷さんはそう叫ぶと、撮影隊を置いてどんどん山を登っていってしまった。
「勝谷さん!あんたの番組なんだってば!あんたが映ってないと意味がないよ!お願いだからカメラマンを置いていかないでーー!!」
そう心の中で叫びながら、必死に追いかける。
見上げれば、急な上り道。木々の間からチラチラと見え隠れする勝谷さんは時々私たちを振り返って「おーい!」と手を振りながら笑っている。
「そんな遠くに居るんじゃ撮影できないって!あんた本当にテレビの人間か!!」と、私は半分キレながら「待ってください~」と、追いかけた。

しかし今。
勝谷さんのメルマガを読み返すと、勝谷さんは我々のことを考えてくれていた事に気づいた。

<猟師さんはさすがだ。平地を行くがごとく登っていく。そのあとを追うのだが、私が先頭に立った。
スタッフは有り難みをよく理解していないと思うが、あれ、私が先頭でなければ、いまごろ「日本テレビの取材クルーが遭難」でヘリが飛んでましたよ(笑)。
谷も尾根も途中でいくつにも分かれている。そのどこを選んで、猟師さんが行ったのか、私はたびたび立ち止まって、踏跡を探しては進んでいたのである。>

おそらく勝谷さんが居なくても遭難はしなかったと思うが、山では携帯は通じず、猟師さんは「こっちだよー」などと声をかけてはくれることもない。

勝谷さんは先に登ることで猟師さんと我らをつないでいてくれたのだ。

今更それに気付くなんて。
ああ、お礼が言いたいよ勝谷さん。

山の上には、大きなイノシシが息絶えていた。
それを丸太にくくりつけて運ぶんだそうだ。
「原始人みたいですね~」勝谷さんは嬉しそうに丸太を担いでいた。

それをさばき、取り出した内臓は猟師さんが食べ、肉は川で血抜きしてから売りに行く。
さすがに内臓までは放送できなかったが、その前段階までは全国に放送された。
今のテレビ、しかも朝の情報番組では、動物の死体が映ることは絶対にない。しかし勝谷さんは「トレーサビリティは大切なこと。いざとなったら僕も局に言うからね!」と言ってくれた。
放送は大反響だったが、不思議なことに批判はほとんどなかった。

勝谷さんは私にこう言っていた。
「いつか本にしましょうよ、この旅を。僕は書かないから、あなたが書いてね」

約束が守れず、ごめんなさい勝谷さん。

そんなこんなのロケだが、前の日は宴会になることも多かった。
某県庁の職員たちが、勝谷さんに、カマボコやみりん干しなどの加工品を持って来た。加工品をブランド化するらしい。
勝谷さんは日本酒を片手に嬉しそうに食べはじめた。
私も一緒にいただいた。「美味しいですね~!」と言う私の横で、勝谷さんは箸を置いてこういった。
「これを本当にブランド化するのですか?」
愉しい宴会の空気が一気に冷えた。
そして勝谷さんは続けた。
「せっかくの美味しい魚なのに…こんなアミノ酸まみれにした商品をブランド化したら…県の名前が落ちますよ」
黙りこくってしまった職員達に「あ、でも、このカマボコは美味しいですね」と優しく声をかける勝谷さん。
こっそりラベルを見ると、そのカマボコにだけ「アミノ酸」の文字がなかった。
「舌がヒリヒリするから…僕にはわかるんです」勝谷さんは小声で私にそう言った。

勝谷さんは、寂しがりやでもあった。
「オンナに追い出されたから(ホントかは知らない)」と引っ越した先は赤坂麺通団の店舗の上にあるホテルだった。
どんだけ寂しがりなんだよ!!!と思う私をよそに、「僕の家なのに僕が出て行くなんておかしいよね、でも放り出すわけにもいかないから…」と言いながら、荒れてよく言えば秘密基地のようになった室内をなぜか嬉しそうにウロウロしていた。
結局そこには半年ほど暮らしたらしい。

勝谷さんは、強がりでもあった。
福島県いわき市でのこと。風俗街の近くで撮影をしたことがあった。
その日は朝からずっとご機嫌で、風俗街の事をカメラの前でも言うので「面白いけど、さすがに使えません」と止めたほどだった。
ロケが終わり、「僕は風俗に寄ってから宿に戻ります、勝手に戻るから気にしないでいいよ」と嬉しそうに風俗街の方へと消えていったので、スタッフみんなでコンビニに行くと、そこに勝谷さんが居た。
あれ…風俗は…?
勝谷さんは「僕が歩いてるとポン引きがみんな勝谷さん!って声をかけてくるからさ~」と、誰も聞いてないのに理由を早口でまくし立てていた。

読者の皆さんはご存知とは思うが、勝谷さんは、とても優しい人でもあった。
姫路で末期ガンと闘うジャズシンガー、石野見幸さんのドキュメントを放送したときのこと。
勝谷さんは「僕はガンについてはコメントは決まっているので、見ません」と、放送中なのに逃げるようにトイレに行ってしまった。
映像が終わる直前に戻って来て、しれっと「ガンはQOL(生活の質)が大事です…」と答えていた。
当時は、せっかく映像を作ったのに!とムッとしたものだが、勝谷さんは映像を見てしまうことで泣いてしまいコメントができなくなることを恐れていたのだと後から知った。
コメントのプロであり、それを周りに言えない人でもあった。

「スッキリ!」の出演最終日、とくに送られることもなく汐留を後にした勝谷さんと、昼から麹町で飲んだ。
「いやー!これで言いたい放題できるよ。せいせいした!」そう笑いながらワインを飲む横顔は少し寂しそうだった。

その後、私は「スッキリ!」を離れ、銀座のキャバレー「白いばら」で50年間勤めた店長の本(「日本一サービスにうるさい街で、古すぎるキャバレーがなぜ愛され続けるのか」ダイヤモンド社/山崎
征一郎)を書いた。

勝谷さんにそのことを伝えると、とんとん拍子で「カツヤマサヒコSHOW」に呼んでいただくことになった。白いばらにも通っていたからかと思ったら、「あなたが本を書いたということは面白いはず」とおっしゃった。テレビマンなのに、信頼してくれていたのだ。
久しぶりに、サンテレビで再会した。
「いやー、面白い本だった!!」そう笑う勝谷さんからかつてのアルカイックスマイルは消えていた。
「僕は!いま!笑っています!」と心で叫んでいるように見えた。

酒を愛しすぎだが故に勝谷さんが居なくなってしまい、予定調和の世界となったテレビの世界に、私は取り残されてしまった。
棺の中の勝谷さんはあの頃のアルカイックスマイルを浮かべているように見えた。
「ありがとうーー!」
尼崎の葬儀場で叫んだ言葉は、嘘ではなかった。
勝谷さんには感謝しかない。
ただ激辛なだけじゃなく、味わいも深くなる柚子胡椒のようだった勝谷さん。
いつか天国に私が行った時、勝谷さんにダメだしされないよう、これからは生きていきます。
ちょっとだけ待っていてください。

勝谷さんに一句
蟷螂枯るるこいびとを腹に秘め
(とうろうかるるこいびとをはらにひめ)