追悼 勝谷誠彦 :内山正之

勝谷嵐に振り回されながら作り続けた本たち
内山正之

高橋ヨロンさんの書く『××な日々』で勝谷さん入院する、の報を読み、これはお見舞いに行かねばと、慶応病院にT-1さんと行ったのが、9月19日。
あの勝谷誠彦が死ぬわけはないと確信していたので、西日本出版社の新刊を手土産に病室を訪れました。
そこにいたのは、白髪白髭の元気なおじさん。
開口一番「花房観音、ふざけてるよな、どういう神経しとんねんあのばか、『××な日々』を乗っ取ろうとしてるな、いや、彼女は僕のことが好きなのかも、そうに違いない」一気にまくしたてると、傍らでかいがいしくベッドまわりの整理などしている女性を「これが、元家内」と紹介してくれて、僕のことも「僕の本を出してくれている内山さんだよ」
絵にかいたようなほほえましい光景です。
「次は、週末に来るね」
「お前、帰るタイミングを探ってただろ」
「まあね」
テンポのいい会話、ほんといいコンビです。
「内山さん、こんないい企画があるんだけど、本にすれば儲かるよ」と勝谷さんがひとくさり。
勝谷さんが書くという話ではなく、他の人の話です。
「それより、尼崎青山藩を舞台にした時代小説を書いてくださいよ、地元の本屋さんが、絶対読みたいし、売るからと言われてるんですよ」
「僕らが資料は揃えますから」
少し間をおいて「やだっ」
ここ数年、何度となく繰り返している会話です。
「そしたら、また来ますから」
これが最後に交わした会話になってしまいました。

勝谷さんとの出会いは、2003年の夏でした。
日本コナモン協会を作って売出し中の熊谷真菜さんと「大阪たこ焼33か所目めぐり」を出したばかりで、大阪のテレビ局やラジオ局にプロモーションするために一緒に動いているとき、一本の電話が彼女の携帯に入りました。電話の主は、勝谷さんの古いファンにはおなじみの“てっちゃん”入江さんです。
JTBの旅の雑誌「旅」で、勝谷誠彦という人が「カツヤの諸国麺遊記」という連載をしていて、来週は大阪のうどん屋を紹介したい、ついてはどこか教えて欲しいという電話、どこにしようかとなって、提案したのは、福島の「やとう」。
翌週早々、大阪駅前のグランビアホテルのロビーで待ち合わせすることになりました。
時間通りに行くと、勝谷さんがどなっている。
「なんでやねん、椅子を動かしたら、なんであかんねん、5人おんねん、話できへんやろ」というようなことを、たぶん当時は東京弁でまくしたてていました。
ちょうどその場にきた僕たちに、
「出よ、こんなとこ、気分わるいわ」と、いうようなことをやっぱり東京弁で言って、そのまま「やとう」へ、レジで大将と二言三言交わすと、いきなりテーブル周りに撮影用の照明のセッティングを始め、面白そうなうどんを速射砲のように頼み、出てきたうどんを数カット撮り、さっとすすって、片付けて、「大将、ビール人数分」と一言。その間わずか10分余り。
続いて、なにか異様な飲み会が始まりました。
小太りでサングラスに全身黒ずくめのいでたち、いつも何かにいらだっているようなオーラ。
これから、あんまり関わりたくないなと思った出会いでした。

なのに、
2007年、また一本の電話がかかってきました。
「朝日放送で夕方のムーブ!という番組をやっている須々木です、勝谷誠彦の知られてたまるか!というコーナーがあるんですが、本にしませんか」
コピーの押し売りでも、株の飛び込み営業でも、とりあえず、来た話は聞いてみるというのが僕の信条なので、翌週朝日放送に出向き、番組見学がてらお話をお聞きすると、なんか面白い。
知らない人のために説明すると、このコーナー勝谷誠彦さんがアナウンサーとともに、美味しいお店をレポートと書くと普通なんですが、番組内で店名も所在地を明かさないというのが売り。
テレビ紹介したことでお客様が殺到し、常連客が離れてしまい、結局店がダメになるという事態が多々あったので、それを避けるために、自分で努力して探し当てた人だけが店にたどり着けるという企画にしたのだとのこと。
しかも、そのお店は勝谷さんが自前で食べ歩いてみつけた、とっておきぞろい。
「私は、無駄な飯は食わない」と、当時豪語していた食&旅ライターの真骨頂満載のコーナーです。
このころには黒ずくめから脱却し、おしゃれな男になっていました
本人の好感度アップもあって、一緒に本を作ることに決めました。
本でも、本文ページには店名・所在地などの情報は一切載せず、それは袋とじの中に掲載、前代未聞の本になりました。
番組では、ムーブ!に出ている男子アナ女子アナがかわるがわる、勝谷さんにお供します。
その相手によって勝谷さんの対応が変わるのも魅力、おっさんアナとは同僚のように、若い女子アナにはちょっと口説きモード、熟女アナとは大人の会話、若い男子アナには食レポ指導、この若い男子アナが、今ムーブ!の枠で、メインを務めるウエタケアナなのは、感慨深い。
この面白さを伝えるために、僕とライターのMさんは、隔週二本撮りのロケに毎回同行し、収録の一部始終をメモを取りながらリアルに観る、出演者の食べ残しをロケ隊みんなで一緒に食べ飲む、これを繰り返しました、なので、本にはオンエアされていない話も出ています。驚いたのは、勝谷さんの博覧強記、その知識とアナごとへの対応力は感嘆の一語です。
本として発売するには、写真撮影や詳しい店情報が必要なので僕ら編集チームだけで、もう一回取材に行っています。大将やおかみさんに話を伺って、勝谷さんの話の裏どりなんかもやりました。この時学んだことが、西日本出版社のガイド本の背骨になっています。
その甲斐あって、「知られてたまるか!」は、関西だけの発売にもかかわらず3万部売ることが出来ました。
大阪の書店さんでは、その場で袋とじを開けたいお客様のために、専用鋏をレジ前に用意してくださったところまででて、ちょっとしたブームを作ることが出来ました。
好事魔のごとし、サイン会の打ち上げで起こったのが、「憲法9条事件」でした。
三次会で北新地の勝谷さん行きつけのクラブで、「憲法9条がストッパーになっているおかげで、日本はアメリカの言いなりになることなく、戦争に行かなくてもすんだんですよね」と僕が振ってしまったのです。
「おまえは、左翼の連中と同じか」というや否や、ファイティングポーズをとる勝谷さん、応戦する僕、凍るスタッフ一同。
「帰る」
『××な日々』を翌朝3時に起きて書くための就寝タイムになったのです。勝谷さんは帰っていきました。
ここからですね。
僕が「極左」とか「共産党」の枕詞で、勝谷さんに紹介されたり、『××な日々』に登場するようになったのは、しかも、なんか嬉しそうに。
数えてみると、一緒につくった本は9冊。
2002年の創業以来西日本出版社で作った本は全部で120冊ですから、1割近くにもなります。
ムーブ!が終わったとき。
「このすごい番組を記録に残さないといけない、内山さん本を作りましょう」と勝谷さんの提案で作ったのが、文字通り「ムーブ!」
「勝谷さん、書いてください」
少し間を開けて、「やだっ」
「片瀬京子という天才がいるんだ、彼女に書いてもらおう」
勝谷さんには、東良さんの『××な日々』にもあったように、気に入った人を応援しようといういう癖があります。
本ができて、「勝谷さん、帯書いてくださいよ」と言うと、少し間をあけて、「やだっ」
結局、プロモーションもほとんど手伝ってくれなくて、大赤字でした。

「兵庫知事選記」が、勝谷さんと作った最後の本になりました。
「作家が知事になるということをアピールしたいから、本売りに来てよ」と言われて、演説会場の何か所かに机をだし、本を並べました。
最初に行った、相生だったか加西だったかでは、とにかく会場に熱気なく、スタッフが街宣車で「今日、演説会があります」と町を流している様子は、まるで大衆演劇の宣伝のよう。会場でも、「なんか有名な人らしいから観に来たけど、知らんわ」と、わざわざ言いに来られるしまつ。
それが、日に日に盛り上がっている様子は、僕らが間をあけて行っていたからこそよりよく見えました。終盤の三宮では、会場に人があふれていて、「ジャニーズのコンサートでもあるん」と聞くと、「いや、勝谷さんがきてるねん」と通りがかりの人が応えてくれました。
ちょっと舐めて遅れ気味に入ったので、通路が人でいっぱいで本を乗せた台車が会場にたどり着けない。
尼崎では、偵察に来ていた知り合いの「反勝谷」の市会議員さんが、途中で怒ってでていく始末、なにがなんやらわからん状態まで来ていました。

「日本の民主主義のために、この選挙戦を本にしましょう」
勝谷さんに電話をかけたのは、敗戦の翌朝です。
「書くよ」
今回は、即答でした。
なのに、テレビで流れていたのは、あの悪態。
やめようかと思ったけど、気を取り直して一か月、他の本の編集も営業もほっぽらかして、ライターのMさんと、選挙中の××の日々をベースに原稿をつくりました。
本当は、書き下ろして欲しかったんですが、やっぱり間をあけて「やだっ」って言うし、「選挙のこと、覚えていない」って畳み掛けてくるし。
徹夜作業を重ねて選挙から一か月、本を書店さんに並べることができました。

結果は5000部刷って、1500部売れで大赤字。
しかも、尼崎でやったサイン会の東京からの交通費、マネージャーと本人分で12万円弱請求してきて、ほんとセコイ。
飲み会でも「みんな払わなくっていいから」と言って、太っ腹にみせて、「内山さん、よろしく」も、ままありました。
でも、その場が楽しかったので、まあいいか、でした。
勝谷さんを取り巻く人たちと出会えたことが、大きな利益でした。
2017年年末、事務所で一人編集作業をやっていると、「兵庫知事選記」で、尾崎行雄咢堂ブックオブザイヤー2017選挙部門大賞を貰っていただけますかと、事務局から電話がかかってきました、思わず「むくわれた」の一言が口からこぼれました。
勝谷さんも号泣して喜んでいたとのこと、ほんとよかった。

去年ぐらいから、「内山さんも大変だろうから」と奢ってくれるようになりました。
「本売れなくて大変なんです、本当に厳しくなったら西日本出版社買ってくださいね」と振ると「5000万ぐらいなら買うよ、お金あるし」と笑顔で返してくれました。

観音さんの『××な日々』に、T-1さんが勝谷さんの部屋を整理したら、小説のプロットがたくさんでてきたという話が書かれていて、「やっぱり、書きたかったんや」と、「でも、書けなかったんか」という悔しい思いが交錯しました。
尼崎青山藩の話では直木賞しか獲れんもんなあ、やっぱり芥川賞か
セコくって、すぐ怒鳴るし、それをまた覚えてないし、先週はスパ!で勝谷さん担当の時、あまりに怒鳴られるので、毎週禿が大きくなると言っていた女性編集者と呑みました。

正直なところ、もう会うことがないなんて、思えません。悲しいというより、長年付き合った女の子から「もう、会わへんから」と、着信拒否されたような、なんかもさもさした感じが、おなかの中でうごめいています。
ちょっと長いお別れです。
天才だったと思います、なんで、もっともっと書かなかったのか。
みんなが書いてしまったので今更なんですが、テレビで勝谷さんか逝ったという報道を見ながら、「なんで、作家って言ってあげられへんねん」と悔しい思いでいっぱいでした、本人が「コラムニスト」と自称しているのですからしかたがないのですが、そのテレを分かってあげて、作家でええやん、あの文章や叫びは、コラムニストのものでなく、作家のものなのですから。

勝谷さんの最後の本は、やっぱり小説がふさわしいと思います。
「てんそこ」みんなの力で出版しましょう。実は、単行本にまとまってから読もうと思っていたので、原稿の中身はほとんど知りません、でも、1冊、いや全〇〇巻の本にして、「勝谷誠彦人生最後の小説」として本屋さんに並べましょう。T-1さん、ヨロンさん、東良さん、観音さん、そして××の日々の読者のみなさん、灘中高のみなさんもかな。
「てんそこ」プロジェクト、始めましょう。

西日本出版社 内山正之