勝谷嵐に振り 回されながら作り続けた本たち
内山正之
高橋ヨロンさんの書く『××な日々』で勝谷さん入院する、の報を
あの勝谷誠彦が死ぬわけはないと確信していたので、西日本出版社
そこにいたのは、白髪白髭の元気なおじさん。
開口一番「花房観音、ふざけてるよな、どういう神経しとんねんあ
絵にかいたようなほほえましい光景です。
「次は、週末に来るね」
「お前、帰るタイミングを探ってただろ」
「まあね」
テンポのいい会話、ほんといいコンビです。
「内山さん、こんないい企画があるんだけど、本にすれば儲かるよ
勝谷さんが書くという話ではなく、他の人の話です。
「それより、尼崎青山藩を舞台にした時代小説を書いてくださいよ
「僕らが資料は揃えますから」
少し間をおいて「やだっ」
ここ数年、何度となく繰り返している会話です。
「そしたら、また来ますから」
これが最後に交わした会話になってしまいました。
勝谷さんとの出会いは、2003年の夏でした。
日本コナモン協会を作って売出し中の熊谷真菜さんと「大阪たこ焼
JTBの旅の雑誌「旅」で、勝谷誠彦という人が「カツヤの諸国麺
翌週早々、大阪駅前のグランビアホテルのロビーで待ち合わせする
時間通りに行くと、勝谷さんがどなっている。
「なんでやねん、椅子を動かしたら、なんであかんねん、5人おん
ちょうどその場にきた僕たちに、
「出よ、こんなとこ、気分わるいわ」と、いうようなことをやっぱ
続いて、なにか異様な飲み会が始まりました。
小太りでサングラスに全身黒ずくめのいでたち、いつも何かにいら
これから、あんまり関わりたくないなと思った出会いでした。
なのに、
2007年、また一本の電話がかかってきました。
「朝日放送で夕方のムーブ!という番組をやっている須々木です、
コピーの押し売りでも、株の飛び込み営業でも、とりあえず、来た
知らない人のために説明すると、このコーナー勝谷誠彦さんがアナ
テレビ紹介したことでお客様が殺到し、常連客が離れてしまい、結
しかも、そのお店は勝谷さんが自前で食べ歩いてみつけた、とって
「私は、無駄な飯は食わない」と、当時豪語していた食&旅ライタ
このころには黒ずくめから脱却し、おしゃれな男になっていました
本人の好感度アップもあって、一緒に本を作ることに決めました。
本でも、本文ページには店名・所在地などの情報は一切載せず、そ
番組では、ムーブ!に出ている男子アナ女子アナがかわるがわる、
その相手によって勝谷さんの対応が変わるのも魅力、おっさんアナ
この面白さを伝えるために、僕とライターのMさんは、隔週二本撮
本として発売するには、写真撮影や詳しい店情報が必要なので僕ら
その甲斐あって、「知られてたまるか!」は、関西だけの発売にも
大阪の書店さんでは、その場で袋とじを開けたいお客様のために、
好事魔のごとし、サイン会の打ち上げで起こったのが、「憲法9条
三次会で北新地の勝谷さん行きつけのクラブで、「憲法9条がスト
「おまえは、左翼の連中と同じか」というや否や、ファイティング
「帰る」
『××な日々』を翌朝3時に起きて書くための就寝タイムになった
ここからですね。
僕が「極左」とか「共産党」の枕詞で、勝谷さんに紹介されたり、
数えてみると、一緒につくった本は9冊。
2002年の創業以来西日本出版社で作った本は全部で120冊で
ムーブ!が終わったとき。
「このすごい番組を記録に残さないといけない、内山さん本を作り
「勝谷さん、書いてください」
少し間を開けて、「やだっ」
「片瀬京子という天才がいるんだ、彼女に書いてもらおう」
勝谷さんには、東良さんの『××な日々』にもあったように、気に
本ができて、「勝谷さん、帯書いてくださいよ」と言うと、少し間
結局、プロモーションもほとんど手伝ってくれなくて、大赤字でし
「兵庫知事選記」が、勝谷さんと作った最後の本になりました。
「作家が知事になるということをアピールしたいから、本売りに来
最初に行った、相生だったか加西だったかでは、とにかく会場に熱
それが、日に日に盛り上がっている様子は、僕らが間をあけて行っ
ちょっと舐めて遅れ気味に入ったので、通路が人でいっぱいで本を
尼崎では、偵察に来ていた知り合いの「反勝谷」の市会議員さんが
「日本の民主主義のために、この選挙戦を本にしましょう」
勝谷さんに電話をかけたのは、敗戦の翌朝です。
「書くよ」
今回は、即答でした。
なのに、テレビで流れていたのは、あの悪態。
やめようかと思ったけど、気を取り直して一か月、他の本の編集も
本当は、書き下ろして欲しかったんですが、やっぱり間をあけて「
徹夜作業を重ねて選挙から一か月、本を書店さんに並べることがで
結果は5000部刷って、1500部売れで大赤字。
しかも、尼崎でやったサイン会の東京からの交通費、マネージャー
飲み会でも「みんな払わなくっていいから」と言って、太っ腹にみ
でも、その場が楽しかったので、まあいいか、でした。
勝谷さんを取り巻く人たちと出会えたことが、大きな利益でした。
2017年年末、事務所で一人編集作業をやっていると、「兵庫知
勝谷さんも号泣して喜んでいたとのこと、ほんとよかった。
去年ぐらいから、「内山さんも大変だろうから」と奢ってくれるよ
「本売れなくて大変なんです、本当に厳しくなったら西日本出版社
観音さんの『××な日々』に、T-1さんが勝谷さんの部屋を整理
尼崎青山藩の話では直木賞しか獲れんもんなあ、やっぱり芥川賞か
セコくって、すぐ怒鳴るし、それをまた覚えてないし、先週はスパ
正直なところ、もう会うことがないなんて、思えません。悲しいと
ちょっと長いお別れです。
天才だったと思います、なんで、もっともっと書かなかったのか。
みんなが書いてしまったので今更なんですが、テレビで勝谷さんか
勝谷さんの最後の本は、やっぱり小説がふさわしいと思います。
「てんそこ」みんなの力で出版しましょう。実は、単行本にまとま
「てんそこ」プロジェクト、始めましょう。
西日本出版社 内山正之