追悼 勝谷誠彦 :新田哲史

「勝谷さん、メディア幕末に七転八倒する私を見守ってください」
新田哲史

勝谷日記の読者の皆様、こんにちは。
アゴラ編集長の新田哲史です。勝谷さんが亡くなられてから早いもので半月が経ちました。11月28日の未明、たまたまヨロンさんと事務連絡をやりとりしていた矢先、訃報を聞かされました。

<訃報「特ダネ」の裏側と棺の中の安らかな表情>

日本のメディア関係者でおそらく訃報を察知したのは、私が最も早かった一人ではないかと思います。衝撃で眠気も吹き飛んでしまった私はいつしかノートパソコンをあけて本能のまま筆を走らせていました。

深い悲しみに暮れると同時に、告白すると、記者時代からの性で、この知ってしまった「特ダネ」をどうするか、自分の中で困惑や葛藤もありました。ある種、私は寄稿もさせていただき「身内」に準じるような立ち位置なので、SNSで速報するのはあまりにも不謹慎。それでヨロンさんが7時に公式発表されるとのことだったので、そこに合わせて私なりに思いを込めた「弔辞」を書こうと、夜を徹して書き上げました。

いつもなら40分もあれば書き上げられるボリュームでしたが、思いが溢れてなかなか考えがまとまりきれない。それでも、薄日が射す頃にはなんとか仕上げてアップ。午前7時、アゴラにアップした記事は、サーバーの処理能力が追いつかず、繋がりにくくなるほどの反響がありました。

勝谷誠彦さん、享年57。我が心の師匠、永遠の旅立ち
http://agora-web.jp/archives/2035909.html

上記「弔辞」でも書きましたが、最後となった対談を前に、勝谷さんの顔色は悪く、歩くのも辛そうな状況でした。私やヨロンさん、T-1さんが「きょうの出演は辞めておいた方がいいのではないか」と話すと、勝谷さんは「君たちが決めることじゃないんだよ」とピシャリ。いま思えば、勝谷さんも薄々「二度とないチャンス」だと思われていたのかもしれません…ですよね?勝谷さん…そう思うと、半月経って平常モードになったというのに、また涙腺が緩んでしまいます。

お通夜の日はどうしても都合がつかず、翌日尼崎の告別式に参列。会場の阪神平安祭典会館に定刻より少し早く着いたこともあり、棺の勝谷さんのお顔も拝見できました。ヨロンさんが日記でも書かれていた通り、ほんとうに、ほんとうに安らかな表情をされていました。

会場では、花田紀凱さんにもお会いしました。「弟子である勝谷さんの方が先に逝かれてしまうことに、師匠の花田さんのお気持ちがいかばかりか」。訃報を聞いてすぐいくつか考えたことの中に花田さんの思いを想像していた私はその想いのまま、お悔やみを申し上げると、花田さんは固い表情のまま「そうだよ…」と、肩を落とされていました。

私が花田さんと接点ができたのも、勝谷さんのおかげでした。それが新聞社を辞めた後、ネットを中心に書いていた私にとって論壇誌デビュー。これも勝谷さんの繋いでくださったご縁です。

<勝谷さんへのメールがきっかけで論壇誌デビュー>

(以下、日記の読者の方には政治的にはリベラルな価値観の方も多いので、ここから先はご不快になられるかもしれません。あらかじめお断りしておきます。)

私は2017年1月8日号の日記に書かれていたことですぐ感想メールをご本人に送りました。当時、勝谷さんも以前出演していた「ニュース女子」が、沖縄の基地反対派が日当をもらっているのではないかと取り上げたことが問題視されました。勝谷さんが「身の危険を感じてツメが甘かった」と指摘もされていたように、日当については「疑惑」はあるものの、取材の甘さが致命傷となり、番組は世間で総スカンをくらい、地上波で閉め出しをくらったのは周知の通りです。

番組追及の急先鋒となったのはネットメディアのバズフィードジャパンでした。米大手ネットメディアのバズフィードとヤフージャパンが合弁で日本版を作り、ニュース女子の問題が起きる1年前に創刊。初代編集長は古田大輔さんという朝日新聞の元アジア特派員の若手で、勝谷さんが「築地をどりの元大名取」の新しい顔ぶれとして、その存在に目を留められたと日記で綴っていました。

ただ、マスコミ業界を知り尽くす百戦錬磨の勝谷さんも、ネットメディア界で起きつつある「左旋回」の潮流にお気づきになってなかったようだったので、私はすぐメールを送って「解説」をしました。以下、その時の秘蔵メールを公開します。

<勝谷さん
こんにちは。アゴラ新田です。

ここ3年ほど、大手メディアからネットメディアに人材が移転するようになって、ひと昔前と違い、それなりの取材・編集能力を持つようになってきました。

スマホのニュースアプリの普及(一説には数千万人の利用者)でネットメディアの社会的存在感が出てきて、うちで追及した二重国籍問題のような事例も今後増えそうです。

いま懸念しているのは、台頭してきているネットメディアでも「大手」に、朝日や毎日、東京新聞系の記者が移籍が多く、ウェブ言論空間の「左傾化」が進みかねないと思ってます。

バズフィードはヤフーと、米バズフィードの合弁なんですが、編集長の古田さんは、朝日時代、デジタル部門のエースとして期待されていた中で、ヘッドハンティングされました。脇を固めるのも、朝日、毎日の元記者です。

読売はアナログな会社で、辞める人がほとんどいないので、僕のようにネットに来た人は最近はいませんね。これもまた左傾化の遠因とは思っています(しかもアゴラは零細経営)。

ハフィントンポストも日本では、朝日との合弁ですので、いまの編集長は朝日出身です。

二重国籍問題のときもそうでしたが、バズフィードもハフポストも、蓮舫さんの擁護ありきでファクト検証はおざなりになっていました。

蓮舫さんが、二重国籍を認める前のヤフーニュースのインタビューも言い分垂れ流しでしたが、元朝日の野島剛さんという人がインタビュアーをつとめて、これもヤフーニュースの左傾化を痛感します。実際、編集部には毎日、東京上がりの人が目立っていますしね。

この辺の事情、今後お書きになられたい場合は、私の名前も出してくださってかまいません。>

勝谷さんからは短い返信がありましたが、日記ではこの話をその後、取り上げられることはありませんでした。しかし、マスコミ全盛期から長年築地おどりの筆頭観劇者として活動されてきた勝谷さんに新たな問題意識を植え付けたのでしょう。月刊「Hanada」編集部のK嬢に私の話をされて、そのままK嬢から「勝谷さんから面白い話を聞きました」と、寄稿依頼があり、それがきっかけとなって花田編集長、「Hanada」さんとのお付き合いにつながりました。前述のメールを基に、拙稿はその年の4月号に掲載されました。

誤解のないように付け加えておくと、私は、百田尚樹さんたち右派論壇の方々のように、朝日新聞をはじめリベラルメディアを殲滅したいというほどは憎んだりしていません。確かに去年、「朝日新聞がなくなる日」(http://amzn.asia/d/f7UUUca)という本を出しましたが、それもサブタイトルを「“反権力ごっこ”とフェイクニュース」としたように、批判ばかりの様式美的な反権力に陥ることへの苦言でした。伝統や規律を重んじる保守ばかりがのす社会では、やはり窮屈だし、イノベーションの萌芽は潰されかねません。

ただし、保守と同じ土俵で競い合うためには、リベラルも本気で政権を目指してもらわなければならない。朝日新聞には、リベラルのシンクタンクとして、旧民主党勢力が本気で政権を取れるように、政策の現実的な困難・矛盾にも逃げずに立ち向かうようになれと「叱咤」したつもりです。

なので、朝日新聞をはじめとするリベラルメディアの若い記者たちが安定した身分を捨てて脱藩し、ベンチャーなネットメディアに移って新しいことに挑戦すること自体は、ネットメディアの進化のために、大いにやってもらいたいと思っています。

ところが、脱藩した人たちを見ていると、「朝日新聞で出来ないことがあるから朝日を辞めた」と公言している割には、朝日新聞的な感覚がどうも出てしまいます。沖縄の基地反対派のことで言えば、勝谷さんも当時日記で書いていたようなお金の原資に関する不審点がありますし、反対派の人たちが主張するように「カンパ」であっても、その出どころをたどっていくとどうなのか、バズフィードの記者たちが左派の人たちに対しても右派に対するのと同じように、ドライに疑問点を洗っていこうとする姿勢が十分でないように見えます。(下手をすれば、そういう純粋な疑問を指摘するだけで私は“基地外”扱いされるかもしれない)

気がつけば、月間1000万ページビュー以上の「大手」ネットメディアは、圧倒的にリベラル勢が占めてしまっています。ポータルサイトのヤフーのニュース編集部も、右派に毛嫌いされている映画監督のインタビューを独自で制作したりと、「ネットのNHK」として中立的なところから踏み出している感があります。「多様性が大事」と言いながら、右派やリアリストの人たちの言い分がどんどん排除されている気がしてなりません。

<葬儀場で勝谷誠彦を新たな目標に>

アゴラは、リベラル系メディアとは相性が良くないですが、経済政策や消費増税に関して「安倍政権マンセー」の右派の人たちとも意見が異なります。右でも左でもない、リアリズムを追及、それもテレビの電波問題などもタブーなく切り込むものだから、よく言えば孤高、悪く言えば孤立しないか、非常に神経をとがらせています。私も、よせばいいのにセミレギュラーで出ていたTOKYO MXの朝の情報番組「モーニングCROSS」で電波政策の話をしちゃったものだから、すっかり呼ばれなくなりました(泣)。

なんで、こんなグチぽいことを敢えて書いたのか。勝谷さんは晩年、テレビでの露出は減っていましたが、葬儀に行くと、数々の著名人やテレビ・ラジオ各局からの献花で会場が埋め尽くされていました。多くの方に愛され、敬意を持たれていたことがわかったと同時に、勝谷さんが20年余りのフリー生活で培ってきた影響力が本当に大きいことも痛感しました。

同時に、メディア人として、勝谷さんのような発信力をつけ、右翼的な言説と一線を画し、それでいてリベラルな論客とも違う視点から世間にものを申して共感を広げるには、どうすればいいか、大きな目標を思い出させられた場面でもありました。

それは決して名誉欲というものではありません。持論を多くの人に伝え、共感を広げていくには、ネットだけだと、年齢や地域で限界があることも厳然たる事実なのです。先述したリベラル系の大手ネットメディアの編集長たちは、地上波のニュース番組や大手のネット動画番組にもどんどん進出しています。そうなると影響力でどんどん差がついてしまうことからの焦りもあるのです。

近々、田原総一郎さんとアゴラの池田信夫と私の3人でネット対談の収録をする予定ですが、私も一回くらい、朝生に出て勝谷さんのように吠えて、左派論客に噛み付いてみたいゾ!(笑)

もちろん、知識も読書量も勝谷さんの足元にも及ばない若輩の私が、いろいろなところに出ていくには、まだまだ修練せねばなりません。しかし、私なりに、これからの時代の形にあったスタイルで、勝谷イズムをどう継承するか、平成の次の時代、これからも自分自身に問い続けていきたいと思います。

若い人が新聞もテレビも触れなくなっていく「メディア幕末」とも言える時代の端境期にあって、ずっと先を走っていた勝谷さん。あなたの姿が忽然と消えたのがまだ信じられません。勝谷さんの握っていたバトンを勝手に拾ったつもりでいる押しかけファンの私は、これからも出来の悪さゆえに七転八倒することでしょう。しかし、一歩後退したとしても必ずや二歩前へとしぶとく進んでいきたいと思います。どうぞ天国から見守ってください。

新田 哲史(にったてつじ)
アゴラ編集長/株式会社ソーシャルラボ代表取締役社長
1975年生まれ。読売新聞記者(運動部、社会部等)、PR会社を経て2013年独立。大手から中小企業、政党、政治家の広報PRプロジェクトに参画。2015年秋、アゴラ編集長に就任。著書に「朝日新聞がなくなる日 – “反権力ごっこ”とフェイクニュース」(共著、ワニブックス)、「蓮舫VS小池百合子、どうしてこんなに差がついた?」(ワニブックス)、「ネットで人生棒に振りかけた!」(アスペクト)。