勝谷、早過ぎるよ!
花田紀凱(『月刊Hanada』編集長)
11月29日、勝谷誠彦の葬儀を了えたあと、尼崎の駅のコーヒー
三人とも口数は少なく、無性に寂しかった。あの勝谷誠彦が、死ん
1985年、文藝春秋が隔週刊の写真誌、ピープルマガジン『Em
ぼくが特集班のデスクで、その下に石山伊佐夫(のち桐蔭大学教授
創刊号の発売日、その朝はちょうど二号目の校了日に当たり、全員
「よし、売れ行きをチェックしに行くぞ」
西川や勝谷とJRの有楽町駅までタクシーを飛ばし、キヨスクの売
『Emma』では本当にいろんなことがあった。
あの年は、ことのほか事件の多い年だった。日航ジャンボ機御巣鷹
その度に『Emma』は過激な写真を掲載、社内外で物議をかもし
社内では冷たい目で見られていたかもしれないが、しかし編集部は
あの激動の日々から、もう三十年以上の月日が過ぎたとはとても信
その後、紆余曲折あって、ぼくと勝谷、柳澤は社を辞め、それぞれ
それぞれが忙しい身で、しょっちゅう会うというわけにはいかなか
■小説の続きを書け!
勝谷にはぼくが編集していた『WiLL』、そして今の『Hana
いろいろ悩みも多かったのであろう、二年ほど前、勝谷は鬱状態に
その後復活したが、往年の冴えはみられなかった。けれど、ぼくは
勝谷は小説を書くべきだったのだ。
2011年に刊行した『ディアスポラ』は祖国を失った日本人が、
「あの『ディアスポラ』の続きを書いて、完成させろ」
勝谷には会う度にそう言っていたのだが、とうとう書かないまま、
棺の中の勝谷の顔は薄化粧をほどこし、穏やかであった。
あのイタズラッ子のような勝谷の笑顔にもう会えないと思うと限り
このところ蒲団に入って、枕元の電気を消すと、勝谷のことを考え
バカヤロー、勝谷、早過ぎるよ!