2008年3月31日号。<聖火に独裁者どもの生家を巡らせる段階でもう五輪精神は踏みつけにされていると知れ>。

 2008年3月31日号。<聖火に独裁者どもの生家を巡らせる段階でもう五輪精神は踏みつけにされていると知れ>。  4時時起床。  このメールは日本全国のみならず、世界中で読んでいただいているので、週末を過ごした東京での風物だけで論じるのは、私のわがままだとご承知いただきたい。  いい花見の週末だった。  私の仕事場がある都心では、花はみな孤独に咲いていた。古い屋敷のあとが多いので、切られ残った桜樹がそこここで咲いているのである。  花見の喧騒というのはいったいどこにあるのだろうと思うと同時に、どうしてこんないい花を独りで咲かせておくのかとも、鈍色の空にしらじらと開いている花弁を見上げながら思ったのであった。  桜には、曇り空がよく似合う。  紺碧の空を背景に咲く花には、どこか胡散臭さが漂うのである。  鈍色の空に、かすかな色彩の違いとしての桜色をほんのりと示すほどの、そんな美しさが私は好き

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