2016年1月24日号。<支那とイラン。世界常識が通用しない両方のトップの握手はもっと報じられていいのではないか>。

2016年1月24日号。<支那とイラン。世界常識が通用しない両方のトップの握手はもっと報じられていいのではないか>。  3時起床。  何するわけでもないんですけれどもね。今日もいちにち、やはり何もすることがない。どんどん仕事を減らしているので、別に日本にいなくてもいいやという気がしきりにする。突然、いなくなっちゃおうかなと。まあ老父の行く末は見なきゃいけないだろうけど、軽井沢の家は不動産屋などは面倒くさいので産廃業者にでもむしろカネ払って引き取ってもらって、これまで遊んできた100を超える国のどこかに移住しようかと。これ、鬱病のひとつの症状かと思ったけれども、いろいろ聞くとむしろ躁病らしい。あと生きても20年ほどである。幸いに責任を持つべき係累はいない。何ひとつ持ち重っているものはない。ああ、こういう人生のために私はすべてを捨ててきたのだな、と考える。  それと同時に狂ったように稼いできた

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