2016年7月5日号。<ISが呼びかける国際的なテロ。かつて「世界同時革命」を呼号して空港で無差別殺人をした連中が日本国にもいたことは覚えていて欲しい>。

  • 日記
  • <テロ犯、富裕層青年ら>
  • <森喜朗氏の「勘違い」>

3時起床。尼崎市の家。
風が、強かった。出迎えの人々の黒い服がはげしく揺れていた。岸田文雄外務大臣が中央にいた。私は激して儀仗隊を出せと言ったものの、無理なのはわかっている。7つの棺を前にわずかな数人々の出迎えではあったが、それもまた寂々として日本国らしいとも思われたのである。背後に私たち国民の厚い追悼と熱い怒りがあれば。7時。日記をかなり書き上げたあとに、いまNHKで観たままを冒頭に挿入している。


しかしNHK、もうちょっと現場の教育をしろよな。6時のニュース。オープニングの時の女子アナの能天気な明るい口調のあと、悲劇を運んできた専用機の映像だ。なぜ場が読めない。それから記者のレポートで鬼畜どもについて「比較的豊かな階層に生まれ育った人たちによるテロ」って何だよ。「人たち」でなくて「テロリスト」か「犯人」だろうよ。報道は技術の前に心でするものである。
とはいえ「みなさまのNHK」も報じはじめたように犯人像が見えてきた。富裕層のエリートなのだ。それを「貧富の差がテロを生む」という手垢のついたステレオタイプでまだ社説にしている朝日新聞を、昨日私は嘲った。その朝日。今朝の1面を見て私は嘲うどころか椅子から…もうええって。
<テロ犯、富裕層青年ら/与党元幹部息子・留学経験者も/バングラデシュ>
http://www.asahi.com/articles/DA3S12442570.html
<バングラデシュ・ダッカで20人の人質が死亡した立てこもり事件で、「高学歴の裕福な家庭の出身」(カーン内相)とされた実行グループのメンバーの素性が明らかになってきた。地元報道によると、名門私立学校の出身者が目立ち、いずれも数カ月前から消息不明になっていた。>
どの口で言う。社説で主張していたことと違うだろう。現場の記者は社説を読んで「あちゃ?」と思ったに違いない。現場はよく頑張っていて、犯人のひとりの父親へのインタビューに成功している。スクープだ。読む価値はある。紹介してあげたいのだが、ウェブではカネよこせと言うのでできない。こうやって読者を失っていく。馬鹿だね。
驚愕した。わが優秀なる工作員の中に、バングラデシュはダッカの社会に浸透している人物もいたのだ。「特殊潜行情報員」というクレジットで情報を送ってきたが、驚くべき事実の数々。他の工作員たちからの情報とクロスさせると「なるほどね」と理解できることが多い。ひょっとすると官邸よりも私の方が情報を持っているかも(笑)。この「素材」はそのままは書けない。やがて咀嚼して書けるかも知れないから待っていて下さい。
大雑把に概要だけを言うならば、ここで私が疑問を呈していた「なぜバングラデシュ政府は、かたくなにISがらみの犯行であることを隠すのか」がわかってくる。国内の政争があるからだ。事件そのものが政争がらみで起きたという見方も工作員は指摘する。このあたりは官邸は把握しているだろう。犠牲者の出迎えを外務大臣がやったということも、うがって考えればひとつのメッセージかも。もうひとつは現場の凄惨さだ。私の想像をも絶していた。工作員は現地のナマの情報をくれたが、とてもここでも書けない。私は自主規制に反対するものであるが、殉国の義士たちの尊厳は護りたいと思う。
義士たちの無言の帰国がテレビから流れていることに涙しながら、ついつい読んでしまった天声人語の軽薄さはどうであろう。
<森喜朗氏の「勘違い」>
http://www.asahi.com/articles/DA3S12442565.html
もはや人間国宝に指定すべき痴愚である森喜朗さんの出来事については私のメモには日記に書くべきことのひとつにあげてあったが、ひとり編集会議で「ボツ」になった。それをわざわざ取り上げていつものように『築地をどり』をしているわけでこれはまあどうでもよろしい。問題はオチのこの一節。
<スポーツでも他の分野でも、国を背負わされることで失われる豊かさがあるのではないか。>
日本国の名誉を背負ってバッタもんの途上国で精励している時に鬼畜に虐殺された義士たちが無言の帰国をする記事が上にあるのである。その下のコラムで書くことか。国とは背負うものなのだ。支那と朝鮮を背負っているのは築地のあんたらだけなのだ。恥を知れ。<国を背負わされることで失われる豊かさ>って何か具体的に言ってみなさい。世界は近代に生まれた国民国家で出来ているのだ。天声人語子もその国民だから高給をもらって駄文を書いて優雅な人生を送っているんでしょう。ついでに会社も背負っているね。降ろせば?少なくとも私はそれを降ろしてサバイバルしているよ。安全地帯の中にいて、何を偉そうに言っているのやら。

政府専用機の帰還の映像が流れたので冒頭に若干の挿入をするつもりだったのだが、結局は全面的な書き直しになっている。やや自慢すると、おそらく日本一、原稿を書くのが早い私だからできることだ。いかなる都合であっても、あとから手を加えたものは嫌なのである。全体のバランスというものがある。やや自慢をすれば、素人さんのブログなどとこの日記の違いはその日で完結した完成原稿を考えていることだ。すみませんすみません。誤字脱字だらけなのにね。わあん。
昨日の『夕刊フジ』にまことに興味深い記事があった。
<日本人標的/ISテロ/流行期>
という記事の中で(せっかくリンクしてあげようと思ったのに、フジはサイトへのアップが遅い。だから引きうつす)軍事アナリストの黒井文太郎さんはこうコメントした。
<ISシンパによるテロは完全に流行期に入っている。シンパは世界中にいて自分たちも『ジハード』(聖戦)を起こそうと思っている。『俺がやる』『いや、俺がだ』とみなが手を挙げている状態だ」と。解説する>
私も近い分析をしている。黒井文太郎さんは私より3つほど年下なのだが、やはり意識の底に「あれ」があるのではないだろうか。「世界同時革命」である。私たちはまだ中学生や高校生だったが、上の世代のそれを見て「頭おかしいんじゃないか」と感じたものだ。こんど、初めて投票権を得たような子どもちのほとんどは知るまい。「あのころ」今のISのテロリストと同じだったのは日本人であったということを。
<テルアビブ空港乱射事件/1972(昭和47)年5月30日>
http://96.xmbs.jp/ryuhpms71-127072-ch.php?guid=on
ご存じでない世代の読者はぜひこの概要を読んで下さい。酷似している。先日のトルコの空港でのテロや今回の事件と。そして。この時に世界中のこうした連中が言っていたのが「世界同時革命」だったのだ。黒井さんが指摘するISの状況に似ている。歴史は並行して進むというのが私の持論である。経済を見ればいい。新興国というのは先進国から数十年遅れて発展していく。大日本帝国があっという間にその差を縮めてしまったのは、世界史上の奇跡である。空前にして絶後だ。
この読み解き方は面白いと自分でも思っている。すべて数十年の遅れで後進国(途上国という「言い換え」が嫌いなので私はこう言うことにしている)で起きているのだ。「アラブの春」は先進国での反戦運動だ。ヒッピーが出てきた時代だ。同時に極左によるテロが世界中で頻発した。遅れてきたイスラムの中の過激派がそれをやらかしていると私は考える。「先にやった人々」に対する憧れは、彼らの中にずっとあった。湾岸戦争の時、ヨルダンあたりのデモを撮りに行くと、反フセインの国の人間なのでよく殴られた。その時に彼らがわめくのが「コーゾー・オカモト」だった。さきほど紹介したロッド空港での乱射事件の生き残りである。
だから「こういう時代がしばらく続くのだろうな」が私の感慨である。歴史は間違いなく繰り返すのだ。この箴言の解釈を私は「ひとつの国の歴史が繰り返す」ではなく「起きたパターンはあとからやってきた国でまた起きる」だと解釈している。「テロの時代」は子どもの反抗期に似ている。人命を奪うのだからとんでもないことだけれども。数十年前と、武器の威力なども比較にならない。テロリストに核でも持たれた日にはひとつの国家が破滅するだろう。私と近い世代のあなたや、あなたは、まだ子どもだったけれども、あの時代を思い起こして欲しい。毎日のように新聞の紙面を「過激派」が飾った。世界を舞台に、いまそういうことになっている。

国難にあたってちょっとテンションがあがっていた。身辺雑記も書きたかったのだが。昨日書いた「たなか屋」なんて、もう。もっと詳細に味について触れたかったのだが。その紙幅を譲ってまでマネジャーのT-1君の酔いっぷりについて書いたのは、印象的だったからだろう。そんなものは始まりに過ぎなかった。彼の最低限の仕事は、私は尼崎の家まで送り届けることである。私は酔っていないのでむしろ彼をちゃんと電車に乗せてやろうと考えていた。ところが、いない。駅で見失ったのだ。
翌日電話でつかまえて聞いた。「どこ行ってん」「いま、淡路ですわ」「淡路?」「ばあちゃんの家があるんです」。明石だけになぜか思いついてそちらに向ったらしい。「たこフェリー乗ったみたいで」「みたいでって何や」「覚えとらんのですわ」。たこフェリーとは明石と淡路を結ぶ船だ。いちど廃止されたがまた別の会社でやっているとは聞いていたが。まあそれがないと行けなかったわけで、乗ったのではあろう。謎はその先だ。彼のおばあちゃんの家は下船したところからかなり距離がある。
「タクシーやったら高かったやろう」「ヒッチハイクですわ」「は?」「ヒッチ!」。もう勝手にやってくれ。あれだけ泥酔した酒くさい人間をよく乗せてくれたなあ。「明日、大阪戻りますから」。普通こう言われると、仕事のために東京に戻ったあと今日の『カツヤマサヒコSHOW』の収録にまたこちらに来るという優秀で勤勉なマネジャーなのだが「自主的島流し」になったあと大阪の実家に一泊して、今日現場に来るということなのである。はあ。
私はと言えば、期日前投票に行った。場所は尼崎市役所である。暑いなんてものではない。微妙な距離なのでタクシーでもない。汗ぐっしょりになって到着し、一票を入れた。投票日は東京なのである。翌日に結果を受けた番組がある。在京大マスコミの素敵な「誰も頼んでもいないのに自主規制」のせいで、開票番組に私が呼ばれることはなくなったが、勇気ある『ニュース女子』が生放送で出てくれと。ただし翌日の深夜だけど(笑)。それもあって、帰京しなくてはいけない。戻って『Meets』の連載を書いていれる。社会とのかかわりのある、いい一日。

これは抜群に要注目だ。「沖縄とは何か」と「裁判員裁判は公平か」を問う上でまことに貴重な提言である。
<米軍属、管轄移転求める/「公平な裁判できない」/沖縄の女性会社員殺害裁判>
http://www.sankei.com/west/news/160704/wst1607040081-n1.html
<沖縄県うるま市の女性会社員(20)を殺害したとして殺人罪などに問われた元米海兵隊員で軍属のシンザト・ケネス・フランクリン被告(32)の弁護人は4日、反基地感情が高まり公平な裁判ができないとして、那覇地裁ではなく、審理を東京地裁に移すよう求める管轄移転請求書を那覇地裁に提出した。事件は裁判員裁判の対象になる。>
裁判そのものよりも、これを最後は最高裁がどう判断するのか。このまま沖縄で裁判となっても「地域感情」は争点になるだろう。シブい弁護士がついている。