2016年5月14日号。<現場主義。いろいろ書いたのでオバマさんよりもひとあし早く、ちゃあんと広島に来るのである>。

  • 日記
  • 広島、原爆死没者慰霊碑
  • <蜷川さん、中東に融和の種残す>

3時起床。広島市。
これだけ人生が放浪していると、自分の頭の中にある問題意識と、実際に存在している場所との関係がフッとわからなくなることがしばしばある。しかも優秀なマネジャーであるT-1君がすべてを仕切っているので「オレ、いま、どこにいるんだっけ」という状態なを運営してくれている。これは実は彼に騙されているのかも知れない。「ええんですよ。ミコシの上に乗っとったら。やここしいこと考えんで下さい」。昨日も言われた。この経緯についてはあとで書くことにする。


というわけで、いまは広島である。ここのところバラク・オバマ大統領の広島訪問などについていろいろと偉そうに言って来たが、気がつくと今朝は広島のホテルにいるのだ。おそらく当地でもっとも立派なホテルのかなりいい部屋であって、豊橋のそれの部屋の5倍くらい広い。しかし、こういう「地元でもっともいい古いホテル」の欠点は「コンセントがない」なのだ。そんなにみんな電化製品を自分で持って歩いていなかったのでしょう。ところが今は、パソコンなどに充電は不可避だ。どんなバッタもんであっても新しいホテルはデスクまわりにコンセントがある。だが、こういう「古くて立派なホテル」はひとつかふたつのコンセントのところにテーブルを引っ張っていくのである。
宿泊業界の方、これを読んで学んで欲しい。もっとも、海外に出る時は私はあらゆるコンセントのアダプターと延長線を持って行く。これは写真家としての基本だ。場所によってはまだ「電気が貴重」なところもあって、ネパールの山奥で密かに充電していると殴られた。今はもうそういうことはないだろうけれども。

広島は、実は私はあまり好きではない。これはただの感情である。だから近くで仕事があっても広島に泊まることはなかった。ほとんどはじめてに近いのではないか。日本国の中でこれだけ大きな拠点なのに、珍しいことである。今回ここにいることになって、いろいろと考えた。現場主義の私が好き嫌いで逃げていてはいけないとわかった。なぜ好きではないのかということを、今もこうして書きながらつらつらと考えているのである。
もちろんいちばん大きな理由は戦後の左巻きが広島を利用したからだ。非戦闘員の大量虐殺を原爆をもってしたのだから「反米の拠点」となるべきだろう。しかしなぜか「私たちが悪かった」と懺悔する場所として、左巻きが利用してきた。とうにご存じのように、私はあの原爆死没者慰霊碑が大嫌いだ。主語がない。それに対する広島市としての公式の見解が以下だ。オバマさんが来るのである。その前に、これがどういう意味なのかをまず日本人としては精査するべきではないのか。私たちが悪かったのか、虐殺をしたアメリカが悪かったのか、ここはちゃんと論議しなくてはいけない。たたき台となるべき「広島市の公式見解」を引いておく。やや長くなるが、頭がおかしいと私は思うので、今後の論議の資料として記録していただきたい。
<原爆死没者慰霊碑には、「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」と刻まれていますが、どういう意味ですか?>
http://www.city.hiroshima.lg.jp/www/contents/1111632890024/index.html
<原爆死没者慰霊碑(公式名は広島平和都市記念碑)は、ここに眠る人々の霊を雨露から守りたいという気持ちから、埴輪(はにわ)の家型に設計されました。中央には原爆死没者名簿を納めた石棺が置かれており、石棺の正面には、「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」と刻まれています。この碑文の趣旨は、原子爆弾の犠牲者は、単に一国一民族の犠牲者ではなく、人類全体の平和のいしずえとなって祀られており、その原爆の犠牲者に対して反核の平和を誓うのは、全世界の人々でなくてはならないというものです。
広島市は、この碑文の趣旨を正確に伝えるため、昭和58年(1983年)に慰霊碑の説明板(日・英)を設置しました。その後、平成20年(2008年)にG8下院議長会議の広島開催を機に多言語(フランス語、ドイツ語、ロシア語、イタリア語、中国語(簡体字)、ハングルを追加)での新たな説明板を設置しました。その全文は次のとおりです。
この碑は 昭和20年(1945年)8月6日 世界最初の原子爆弾によって壊滅した広島市を 平和都市として再建することを念願して設立したものである
碑文は すべての人びとが 原爆犠牲者の冥福を祈り 戦争という過ちを再び繰り返さないことを誓う言葉である 過去の悲しみに耐え 憎しみを乗り越えて 全人類の共存と繁栄を願い 真の世界平和の実現を祈念するヒロシマの心がここに刻まれている
中央の石室には 原爆死没者名簿が納められており この碑はまた原爆死没者慰霊碑とも呼ばれている。>
バッタもんモノ書きながら言うのではあるが、これほど愚劣な文章はまず見たことがない。だが、言う。原爆投下を巡ってずっと繰り返されてきたことの、象徴でもある。なんで、虐殺された私たちが「もうこんなことせんでな」といわんとあかんの。すみません興奮するとつい関西弁になる。生活保護も切れて行き倒れになったおっさんが「わしみたいにならんでなあ」言うて、それが碑文になるか?「我々はここに、非戦闘員の大量虐殺をおこなった原爆投下に断固として抗議をするとともに、かかることが二度とおこらないことを願うものである」でしょうが。
<憎しみを乗り越えて 全人類の共存と繁栄を願い 真の世界平和の実現を祈念するヒロシマの心がここに刻まれている。>
アブない宗教である。なんでヒロシマがカタカナなのか。日本国の広島でしょう。ちゃんと漢字で書け。いちいちむかつくのである。外からこうしてメディアを介して広島を見ていると。広島嫌いには個人的な経験も作用している。休日だから書いちゃうか。早稲田大学に落ちぶれた時、とりあえず少女マンガおたくの私としては既存の「早稲田おめちっくクラブ」というものに入ったのだ。名前の通り『りぼん』系が中心だったので竹宮さんを仰ぐ私などは少数派だった。ここで私をいじめまくった先輩が広島のひとだった。イジワルな風土があるなあ、と。だから広島を嫌いになった。この地には取材先として頼まれても行かなくなった。広島県としては莫大な損失をこうむったわけであって、この男は北朝鮮なら処刑されていることであろう。

ひとの「イメージ」は大切なのだ。「広島人はイジワル」と私の中で刷り込みがあったので、そのあとかの地のひとと接するとまずそう思ってしまう。やがて「イジワル」の理由は「自分たちが中心の感覚」があるとわかって来る。先輩は「えっ?尼崎?それどこ?知らん」だった。こちらは逆に広島は原爆のことしかわからないので、なんでこのひとがこんなに威張っているのかと感じた。
今回、広島に来てよかった。なんとなくその感覚が分かったのだ。いやあ、たいした「中心地」なんだねえ。何もかもここで完結している。徳川と毛利とどちらが天下をとっていたかわからないということがようやく理解できた。尼崎の貧民としては、秀吉がただの花火だったというのもわかった。今朝、部屋に届けられたのは『中国新聞』で、夜明け前に行ったコンビニには朝日新聞はなかった。「いつ来るの?」「遅いですねえ。しかも少しですよ」。なるほど。地方に行くとそこの地盤の文化というものは強い。しかし、広島は特別だ。とくべつなんだねえ。

その中国新聞の看板コラム『天風録』は蜷川幸雄さんの死去を扱っていた。コンビニで買った、朝日と違ってちゃんと早くそこに届けてあった毎日新聞の『余祿』もそうだ。せっかく引いてあげようと思ったのにまあ、この時刻だからもあるが『天風録』は昨日のものまでしかないにしても『余祿』は毎日のサイトで検索して出てこない。ビンボーなんだからこういうところこそちゃんとした方がいいよ。仕方ないので、朝日の記事を引く。朝日はさすがで蜷川さんに媚びていない。天声人語は<メディチ家の相貌史>だ。いやいや、頭のいいひとは違うねえ。パチパチ。
<蜷川さん、中東に融和の種残す/12.13年に公演、イスラエルから悼む声>
http://www.asahi.com/articles/DA3S12356022.html
<12日に80歳で亡くなった演出家、蜷川幸雄さんの死を悼む声は、中東にも広がった。世界的な巨匠はパレスチナの占領を続けるイスラエルでの公演に挑み、「他者との共存」の可能性を探った。出演した俳優たちは、今も人種を超えた友情を育む。>
なんだか偉すぎて、もう本筋よりも各紙、サイドストーリーの競争だ。すみません、と言っておこう。私は根本的なところがわからないので。演劇が苦手だと書いてきた。う?ん、それを超えても、このヒトがどう偉大だったのかはやはりわからない。ただ、大マスコミの方は好きなのだろう。そういう「存在」はバッタマスコミにいた人間としてはわからなくもない。「蜷川さんに会ったよ」と会社の名刺でできたのが嬉しいのかな、と。
私が蜷川さんの名前を知ったのはお嬢さんのことがあるからだ。写真家であられる。
http://www.ninamika.com/
論評は控える。「やっぱりあの蜷川さんの娘さんだからなあ」というのが、デビューのころの写真家仲間での評価であった。うまいへたがどう言われたかは書かない。今や写真がわからない編集者のか方々が名前で…。いやいや。蜷川さんはしかし、その名声をもって、いいお嬢さんの社会的な地位はちゃんと確保されたというほかはない。あっ。

昨日もテレビ東京のロケであった。もういいや。サトるというのはこういうものか。馬鹿も突き抜けるとやはり天に行くのだろう。マネジャーのT-1君も呆れながらも「書かないで下さいよ」と言うが、書きません。書くとキーボードが汚れるので。作品がすべてなので『昼めし旅』とやらは、ぜひ見てやって下さい。
http://www.tv-tokyo.co.jp/official/hirumeshi/
でもね、辛いことがあると必ずいいこともあるのだ。豊橋市内でのロケであった。すると地元の美術館でこんなことをやっているではないか。
<『描く!』マンガ展?名作を生んだ画技に迫る?>
http://www.toyohashi-bihaku.jp/?page_id=6749
<本展覧会は、マンガを「描く」「人に見せる」「たのしむ」という、マンガの本質的な営為に着目し、優れたマンガ家たちの卓越した作画技術を原画、資料、映像等により紹介するとともに、その時代背景をさまざまな視点から改めて見つめ直す機会となります。手塚治虫、石ノ森章太郎、藤子不二雄A、赤塚不二夫、さいとう・たかを、水野英子、竹宮恵子、陸奥A子、あずまきよひこ、島本和彦、平野耕太、PEACH-PIT、諸星大二郎といった戦後から現代までの作家を取り上げ、マンガというメディア文化の多様な展開とさらなる可能性を紹介いたします。>
わああああ。もちろん行きましたよ。竹宮惠子先生の『風と木の詩』の構想段階のクロッキーとか、もうお好きな方にはたまらないものがたくさん。キューレーターの方を呼び出して「お好きですよねえ」と言ってしまった。作品のひとつひとつ(竹宮さんのほかでも)の前で語りまくって、おそらく本来のロケよりも喋ったのではないか。ミュージームショップでは大人買い。「ここからここまでぜんぶください」だ。竹宮さんモノ。
https://ja-jp.facebook.com/katsuyamasahiko
ああ、幸せ。

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