2015年11月25日号。<トルコと日本国の関係のお勉強など。だからロシアとの間に立って何かできないか、安倍さん>。

2015年11月25日号。<トルコと日本国の関係のお勉強など。だからロシアとの間に立って何かできないか、安倍さん>。  4時起床。尼崎の家。  憂国忌である。などと書いても若い読者の方はもうピンと来なくなっているかも知れない。作家の三島由紀夫先生が「楯の会」の隊員4名とともに陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地に東部方面総監たる益田兼利陸将を人質に立てこもり、バルコニーで自衛官たちに対して演説、その後、隊員の森田必勝義士と自決した出来事である。私は「事件」とは書かないことにしている。  時に1970年11月25日。ときどきあちこちで触れているが、三島先生の作品に耽溺していた、まだ9歳の小学生の私にとっては、人生を揺るがすほどの出来事であった。完成されていない子どもの人格にかなりな影響を与えて、今の私があるのは間違いない。今日はそこから45年目の日に当たる。夜明け前、毎年のように黙祷をし、三島先生と森田義

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