2015年2月3日号。<日本国の誇りを背負って行き、虐殺されたジャーナリストについて忘れたような報道をする大マスコミと、もうそろそろかかわりたくない>。

2015年2月3日号。<日本国の誇りを背負って行き、虐殺されたジャーナリストについて忘れたような報道をする大マスコミと、もうそろそろかかわりたくない>。  3時半起床。尼崎の家。  「血眼」という日本語がある。「ちまなこ」だ。何かに必死になっているという状況だけれども、私は感情に負けて目が赤くなってしまう光景を連想する。湯川遥菜さんに続いて後藤健二さんまでもが殺害されたあとの会見での、安倍晋三首相がそうだった。  プロとして恥ずかしいのだが昨日の『ザ・ボイス』で私の声が涙を含んでいるのではないかというメールをいくつかいただいた。その通りなんです。湯川さんについても許しがたいのはもちろんだが、後藤さんは「私であったかも知れない」と思うと、切なくて仕方がない。当初は激情だけだったがいろいろと冷静に考えていくと、今回の虐殺と私にはいろいろな接点がある。後藤さんと現場でお目にかからなかったのは、彼

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