2015年1月22日号。<愛する祖国に「苦渋の決断」をさせることがないよう、私はこんなメモを残してきた>。
2015年1月22日号。<愛する祖国に「苦渋の決断」をさせることがないよう、私はこんなメモを残してきた>。 4時起床。尼崎の実家。 土砂降りの雨がさきほど、いきなり上がった。もっとも「灘校地学部気象班中興の祖」である弟は気象図を睨んで「またすぐに降るよ」と。身体を診てもらう時だけでなく、いろいろなところで役に立つ男である。今日は博多へ新幹線で移動しなくてはいけないのだが、飛び込んできたニュースで新大阪と京都の間で沿線火災のために止まっている。昼過ぎまでに動くのかどうなのか、どきどき。 昨日は珍しく何もない一日。というか、いちど東京に戻るのは無駄だと思って、尼崎にとどまることにしたのだ。実家の座敷牢で『日経パソコン』『ソワニエ』と書き上げる。いずれも締め切りよりもかなり早い。そのあと小説に向かい合う。実家にいて、昼からビールなど呑んでいると弟が「ほら、時間があるんだから小説やったら」と