2013年6月29日号付録。<週報『迂闊屋』20130629号>

週報『迂闊屋』20130629号

0. 目次

1. ご挨拶 / 2. お知らせ / 3. ウカツな日々。

1. ごあいさつ

いつもありがとうございます。
週報『迂闊屋』担当・東良美季です。
スタッフからのお知らせを含め、お送り致します。
どうぞ今号も最後までよろしくお付き合いくださいませ。

2. お知らせ

先週、トーラさんの迂闊屋デビューへの感想をいくつかいただきました。
ありがとうございます。
とても良い感想が多く、ホッとしましたが、「今までの『迂闊屋』は楽屋オチが多く読む気しなかったけど、やっと読みたくなるものができた」などと正直に書かれた方もいらっしゃいました(涙)
また、感想等ありましたらお寄せください!(迂闊屋C)
ukatsu@katsuyamasahiko.jp

3. ウカツな日々。

×月×日 「カツヤの青春物語」その2

(カツヤとトーラの会話、先週の続き)
──19才で大学に入ったということは、1年浪人したわけですよね。
「そうです。そもそも私のような天才が何故現役で合格出来なかったかというと、僕らは共通一次第一世代(注・1979年開始)なわけです。突然あんな海のものとも山のものともつかない試験を受けさせられて通るはずがない」
──受かった人もいるので「通るはずがない」というのはちょっと(涙)。ただまあ、突然教科が増えて大変だったのは確かですよね。
「いわゆる〈5教科10科目1000点満点〉時代ですよ。後に〈5教科5科目800点満点〉になるのかな(注・1987年より)」
──社会2科目に理科2科目でしたっけ。「物理?T」「化学?T」「生物?T」「地学?T」のいずれかから2科目選べって、今考えると拷問だな(涙)。
「でしょう? しかも僕は文系のくせに親が医者なもんだから医学部を目指した。ただその年、筑波大学と佐賀医大と滋賀大学、この三校が画期的な方式を取ったんです。今でいうAO入試みたいなもので、二次試験は面接小論文だけ、と発表した」
──共通一次はマークシート方式だから、「大学入試を○×でやるのか!」という批判があったんですよね。
「そう。要は共通一次で倍率3倍くらいまでの足切りをして、あとは小論文で合否を決めると。『これぞオレのための制度だ!』と思ったね」
──灘高時代から詩に小説に、文章を極めていたカツヤ少年にとって、そんなもん赤子の手をひねるようなものだト。
「しかも筑波なんて小論文の試験時間が6時間だっていう。6時間にわたって文章を書き続けられる高校生なんて、全国見渡してもオレ以外いないだろうと。だから共通一次を通った段階で『もう受かった』と思って毎日酒飲んで過ごしてた。ところがいざ二次試験に行って問題用紙を開くと、化学方程式と数学の数式がズラーッと並んでる。つまり小論文という名の理系総合問題だったわけです。詐欺ですよ、あれは(涙)。結局僕が書けたのは最後の『私と医学』というテーマの300字の作文だけ。途中退席も出来ないから、6時間ずーっと机に突っ伏して寝てた」
──途中退席しないのがカツヤさんの真面目さだね。僕だったら泣きながら帰っちゃうな(笑)。
「僕だって帰ればよかったよ。だって終わってから、その採点を見たうえで面接があるわけ。ズラリと並んでいる教授たちが、僕の顔と点数を見比べてクスッと笑いやがった。『理科、苦手だった?』だって。見りゃわかるだろーが。見事玉砕ですよ」
──それで一浪すると。浪人生活は地元尼ヶ崎ですか。
「自宅で、いわゆる宅浪です。しゃらくさいから予備校なんぞ行かず、NHKの通信高校講座で勉強した。というのは共通一次って、高校で習う範囲以外の問題は出さないという決まりがあったから。高校の勉強さえしっかりやり直せばどこでも受かるはずだと、実に合理的な受験勉強です」
──で、一年後、早稲田大学第一文学部に見事合格するわけですが、けれど前回のお話にあったように、入学してひと月も経たないうちに風俗ライターになってしまう。そこには何かキッカケがあったんでしょう?
「それを話すと長くなる(笑)」
──じゃあ続きはまた来週ということで。

読者の皆さんの「質問・疑問・ご意見・人生相談」も引き続きお待ちしております。
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今号は、以上です。最後までお付き合いありがとうございました。
また次号でお会いしましょう。
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