2012年8月1日号。<尖閣諸島の「一触即発」を朝日新聞すら懸念しはじめていつる。「勝ついくさ」をしなくては>。
2012年8月1日号。<尖閣諸島の「一触即発」を朝日新聞すら懸念しはじめていつる。「勝ついくさ」をしなくては>。 3時起床。サイゴン。 私にとってこの街はいつになってもあくまでも「サイゴン」なのである。 私の師匠のひとりである加藤博さんは『日本電波ニュース』のラオス特派員であった。その時、西側で唯一ハノイにいたのが、故・橋田信介さんである。電波ニュースが共産党系だからできたことなのだ。文藝春秋で現役の記者だった時に、この二人の薫陶を受けることができたことを私はどれほどいまありがたく思っていることだろう。もっとも、それは「掴みに行った幸運の前髪」ではあった。こちらから「この人だ」と思わなくては、出会いはない。 加藤さんとクーデターが頻発するマニラでうろうろうしていたころ、昼下がりのマビニ通りあたりのバァで、よくベトナム戦争時代の話を聞いた。橋田さんが撮った映像がホーチミン・ルートを