2012年5月27日号。<呉市。原爆ナントカよりも「大和ミュージアム」に子どもを連れて行った方がいい。いや、原爆ナントカもそのあとでね>。

 2012年5月27日号。<呉市。原爆ナントカよりも「大和ミュージアム」に子どもを連れて行った方がいい。いや、原爆ナントカもそのあとでね>。  3時半起床。呉市。  大日本帝国を支えたこの軍港は、意外なほど山が迫っている。その山の端が可憐なほどの紅色に染まってくるのである。呉の夜明けだ。  ゴトゴトと、列車の音が重なる。やはり軍都であった広島と呉を結ぶ鉄道は、帝国の生命線でもあった。  新聞を買いに外に出る。コンビニまではかなり距離があるとフロントの人は言う。  意外なことに、海ではなく緑の匂いが濃厚に迫ってきた。空気は湿度のために重く身体にまとわりつく。歩きだしたが、気がつくと軽く走っていた。あとに記すことになると思うが、この海軍さんの街のさまざまなことどもを見たあとでは、なにか全身がより「肉体的」になるのである。畢竟、ひとは最後は肉弾あい打つのだな、というような。  しかし、走る私に呉

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