2011年3月13日号。<未だ災地の情報乏しき。しかして同胞のために立ち上がる日本人たちの魂や烈々として>。
2011年3月13日号。<未だ災地の情報乏しき。しかして同胞のために立ち上がる日本人たちの魂や烈々として>。 3時起床。 眼下の大地がいかに傷ついているかなどということは知らぬげに、飛行機は軽々と伊丹空港を離陸して、東京に戻ってきた。昨日の夕方である。決行したサイン会には大勢の方が来ていただいて、冒頭で私は日本人全体が連帯して国難に当たることをお願いした。 東京にいると、1時間に1度くらいは小刻みな揺れを感知する。その大きさと揺れ方からだいたい震源はどちらなのかということを推測する技術を、地学の徒である私は感得してしまった。 かかる国難の時にお気楽な少年たちの物語である『天国のいちばん底』を配信すべきかどうか迷ったが、日本国の半分が壊滅している時に、残りの半分の人間がいかに自律し、日々の営みを続けて、国家の体面を保つことが大切かと思う時、いつものようにお送りすることにした。ふたた