2009年1月17日号。<自国の歴史について他国の記述に口をはさまねばならないような気の毒な国だ、支那は>。
4時起床。大阪。 昨日は『たかじんのそこまで言って委員会』のあと、尼崎市の実家へ。正月に帰省しなかったので年明けてはじめて母の遺影に線香をあげる。 本当は泊まろうと思ったのだが、姪が今日、私立中学の受験。ヘンな伯父が遅くまで呑んだくれていては邪魔になるので遠慮する。老父と近くの鮨屋で夕食を共にし、大阪のホテルへ帰った。 実家へ行くと弟が白衣を着て診察室から出てきて、なるほどとうとう勝谷医院をやるようになったんだと実感。この1月1日から、ようやく父と二人で診療をすることになったのだ。勝谷医院2代目の誕生である。これでもうあまり世襲政治家の悪口を言えなくなった(笑)。 一方で大阪大学医学部の研究者としては特任准教授にもなったらしい。週に何時間か講座を持ちながら開業医として地域医療にも従事するわけだ。 81歳の老父はようやく負担が減るが、かといって引退するのではなく、二つある診察室を