2011年3月17日号。<天皇陛下からいただいた「雄々しさ」という言葉を手に、さあこうべをあげて立ち向かおう>。
2011年3月17日号。<天皇陛下からいただいた「雄々しさ」という言葉を手に、さあこうべをあげて立ち向かおう>。 3時半起床。 日本中、いや世界中に散らばる同胞から「天皇陛下のお声を拝聴した」と震えるようなメールを頂戴している。 雪が15センチも積もった被災地で、マーケットの「日本売り」に戦慄するロンドンで、自国民の離日の様子を流し続けるパリで、日本人たちは陛下のお声に接した。 なぜ「その様子」を大マスコミは写して流さないのかと思った。陛下のお声は一方的なものではない。そこに国民との紐帯を感じさせてこそのお声である。ああ、そのことすらもうこの国の大マスコミの連中はわかっていないのだな、と感じた。 今回のお言葉は「平成の玉音放送」だと私は思っている。あの時は日本国内だった。いまは世界中で、心ある日本人たちが佇立してそのお声を聞いた。昭和の玉音放送が私たちの心の底に響いているのは、